2008年12月31日水曜日

よいお年を

 24日にパタヤに戻って来てから、クリスマス、忘年会と飲み会が続き、30日になってしまった。これではいけないと思い、早朝から大掃除を始めた。
 
 まず、毎年恒例の網戸洗い。埃だらけの網戸を外して風呂場に持って行き、タワシで洗った。それから、ベッドのシーツと枕カバー、布団の洗濯。床に掃除機をかけて、タイルを拭く。電子レンジ、オーブントースターの中も綺麗に拭いた。

 大晦日の今日は、ベランダのタイルを洗った。14階で水の出が悪いので、時間がかかる。流し台のホースが劣化して壊れていたので、新しいホースに交換した。汗まみれになったが、午前中で何とか終了した。

 午後は、新年初釣りの仕掛けを作った。それから、元旦の雑煮のスープも作った。これで完璧だ!

 今夜は、仲間とイサーン・レストランで忘年会。その後は、久々に繁華街をぶらついてパタヤの夜を満喫する。花火は23時45分ごろから始まるので、自宅のベランダから眺めることにする。

 来年は、3日に友人がひと月の予定で遊びに来る。5日は初釣り、7日から16日はタイ南部の温泉ツアーに出掛ける。インドの原稿も書かなければならないし、新年早々忙しい。

 今年の後半は世界的に経済が悪化して大変厳しい状況になったけど、来年はよい年になりますように。

 

2008年10月1日水曜日

出発直前に

約半年の間、丹念に資料を集め計画を練ってきたインド亜大陸一周の旅が、いよいよ明日スタートする。あれこれ考え過ぎてちょっと荷物が多くなったけれど、自分としては完璧な計画である。バンコクからバングラデシュのダッカに飛んで、そこから列車でインドのコクカタに入る。

コルカタで60日間のレイルパスを買って、10月5日スタートだ。ダージリン、マクロード・ガンジ、マナーリ、マニカラン、デリー、バナーレス、ルンビニ、ジャイプル、アグラー、カジュラホ、エローラ、アジャンター、ムンバイ、ゴア、カニャークマリ、マドゥライ、チェンナイ、プリーなど12月3日まで殺人的なメニューを消化しなければならないが、今回は無宗教の中国と違いルンビニを始めとする4大仏跡を巡るので、仏陀がきっと守ってくれるだろう。そう思っていたのだが・・・。

 間違いは、格安のバングラデシュ航空のチケットを買ったことだ。2日の出発予定が、意図も簡単に3日に変更になってしまった。しかも、出発時間は1時間以上も遅れてしまい、到着は現地時間の午前0時。その日の朝8時半の列車に乗らなければ間に合わない。
やっぱり高くてもタイ航空を買えばよかった。

 てな訳で、初めから出鼻を挫かれてしまったが、こんなことくらいで計画を変更するわけには行かない。これはきっと仏陀が私に与えた試練だ、そんな都合のいいことを考えて明後日に備えている。でも、空港で一夜を明かすことは確定のようだ。

 ぎりぎりの殺人的計画といっても、そこは旅慣れている私ですからちゃんと要所要所にスペアデイを作ってある。もし、ダッカ出発が1日遅れても途中で修正できるように考えてある。まぁ、インドの国鉄を全面的に信頼した上での計画であるが。

 パタヤの友人たちには何度も送別会をしていただいて申し訳ない気分だけれど、3日に出発します。皆さん、くれぐれもバングラデシュ航空には注意してください。

2008年9月27日土曜日

インド・ビザ その2

 10月16日、バンコクのスクムビット通りソイ25にあるインド大使館の下請けのアプリケーション・センターでインド・ビザを申請した。受け取りは、22日の午後3時30分と書いてある。指定の通りに22日に再びバンコクへ出向いた。

 午後一番でタイ国防省に出向き、軍の地図局なるところで軍が作成している5万分の1の地図を買った。来年に南部の秘湯を探しに出掛けるので、その為の資料として購入してきた。

 3時15分にアプリケーション・センターに着き、中に入って待っていた。が、3時半になっても動きはない。窓口の女性に訊いたら、4時になると言う。仕方なく座席に座って待つ。旅行業者や一般の申請者でフロアはいっぱいになった。

 やがて3時30分になると、窓口のガラスに紙が張られた。そこには、大使館の都合でビザの発給は4時になると書いてあった。何だって、1時間遅れか! ふざけるな!

 もともと大使館で業務をしていたが、大変なので下請け業者に依頼したのだろう。482バーツの高い手数料まで取ってこの様かよ。まったく情けない国だ。中国の方がまだましだ。

 結局、4時15分から発給が始まり4時30分にはパスポートを受け取ることができた。まぁ、仕方ないか、インドだから。これから2ヵ月も旅をするのだから、1時間くらいの遅れでイライラしていたのでは、インド亜大陸で生きていけないぞ! そう自分に言い聞かせてアプリケーション・センターを後にした。

 これで準備は整った。後は、バングラデシュ航空が予定通りに飛んでくれることを祈るばかりである。ただ、もう一つ問題がある。ダッカの空港に着くのが夜の10時30分で、多分、入国審査を済ませて荷物を受け取る頃には深夜12時ごろになっているだろう。初めての国で、深夜に空港からタクシーに乗って安宿街に行くのはちょっと不安である。

 空港に一泊するか。寝袋もあるし。

 

2008年9月18日木曜日

インド・ビザ

10月から出掛けるインド苦行の旅では、バングラデシュからインドに入りネパールを覗いてインドを一周してまたバングラデシュに戻る計画になっている。先日、日本のバングラデシュ大使館でビザを取得した。ネパール・ビザは国境で取れるらしい。問題はインド・ビザだ。在日中は時間がなかったので、バンコクのインド大使館で取ることにした。

 パタヤ在住の友人がネットで調べてくれた情報によると、インドの観光ビザは大使館ではなくアプリケーション・センターという委託業者が発給手続きを代行している。申請料は760バーツ(ビザ代360B,照会料400B)の他に手数料と税金が482バーツもかかる。しかも、申請料はインド大使館宛の銀行小切手で支払わなければならない。まったく面倒である。

 16日は早起きをして、パタヤ6:20分発のバスに乗りオンヌットで下車した。BTSでアソークまで行き、アプリケーション・センターがあるソイ25のグラスハウスビルまで歩いた。1階の大華銀行で小切手を作ってもらう。これにも20バーツの手数料がかかった。金額は少ないが何でも金がかかる国だ。

 15階のアプリケーション・センターに入る際には、荷物チェックが行われ携帯電話の電源は切るように言われた。先日、デリーで連続爆発事件があったからチェックが厳しくなっているようだ。

 チェックが終わり、申請書2枚を受け取り中に入った。日本で申請する記入例を持参したが、内容が少し違っている。適当に書いて、分からないところは係員に訊いた。職業欄には、NONEと書いた。中国大使館、バングラデシュ大使館でもそうだったが、WRITERと書くとジャーナリストと勘違いされて一筆書かなければならない。だから、無職と書いてしまった。

 申請書、写真2枚、小切手、パスポート、手数料482バーツを提出して、やっと受理された。あとは、22日の15:30に受け取るだけである。

 これで準備完了! バングラデシュ航空が予定通りに飛んでくれれば、10月4日にはコルカタに到着だ。
 

2008年9月7日日曜日

タイ秘湯ツアー第3弾 最終章







8月14日から20日、足掛け1週間にわたる秘湯ツアーはチェンマイの温泉リゾート民宿にて日程のすべてを終了した。1週間といっても、往復の夜行列車を除くと正味4日間のツアーであった。
 
 初日から苦戦が続き、計画通りに進まず秘湯探しに時間がかかった。反面、苦労して秘湯を発見した時は、喜びも一際大きいものであった。まさに生みの苦しみである。しかしながら、われわれは着々とタイの秘湯探しのスペシャリストになりつつある。さしあたり、タイ秘湯探しのインディー・ジョーンズといったところか。

4日間で発見した新温泉は10ヵ所で、入浴できたのは5ヵ所という結果を残した。場所だけ確認したが、諸事情により見学ができなかった温泉も3ヵ所あった。時間切れで断念した秘湯も1ヵ所ある。これらは次回の宿題としておこう。

 今回はチェンマイ大学の調査結果に基づいて新温泉を探してきたが、CHAOの情報も役に立った。そして、CHAOが未確認の温泉を8ヵ所も発見して、そのうち2ヵ所に入浴することができた。これは大きな成果である。

 次回の秘湯ツアーは、来年1月を予定している。参加者もすでに3~4名確定している。場所は・・・? タイ南部のラノーン、チュンポン、クラビ、パンガー、スラタニあたりかな。深南部は危ないので。
 

2008年9月6日土曜日

タイ秘湯ツアー第3弾 その15







温泉リゾート民宿


 今から5年前、CHAOの温泉博士・山内氏はチェンマイ県のゾウ・キャンプのある集落内の民家に温泉が湧き出ていることを耳にした。早速取材をして、露天風呂を造ることを提案したが、温泉井戸は集落の共有財産で勝手に造れないなどのややこしい話になったらしい。それから3年、ある家族がその温泉井戸と土地を買い取って、自力でリゾートを造り出した。その温泉リゾートが完成間近というニュースを聞いて訪れることにした。

 プラーオ郡から県道1001号線を南下して、国道107号線に出た。そこから、メーテン、メータマンのゾウ・キャンプを目指して走る。国道107号線の分岐点から約8キロ走ると、メーテンのゾウ・キャンプに着いた。ゾウ・キャンプとは、ゾウに乗って山を登ったり、筏で川くだりをする施設である。

 CHAOには地図が載っていたが、リゾートの敷地と道路を勘違いしてしまいどこが入り口か分からなくなった。ゾウ・キャンプの前を行ったり来たりして、やっと門を見つけたが入り口は板で塞がっていた。ここかなぁ? 

「サワディ カップ」そう言って、板を乗り越えて敷地の中に入った。

 もしここがアメリカの片田舎の農家なら、ライフル銃を持った家主が現れて「フリーズ!」を叫ぶだろう。びっくりして振り返ったら「スドーン」。不法侵入した強盗と間違えられて殺されても何も言えねぇ。 でも、ここは微笑みの国、仏教国のタイランド。そんな目に遭うことは絶対にない。

 挨拶をしながら歩いて行くと、作業中の奥さんらしき女性が現れた。
「こんにちは、温泉を見学に来ました」
 そう言うと、
「どうぞ、どうぞ」
 と、歓迎ムードだ。CHAOに掲載された記事のコピーを見せると、嬉しそうな顔を見せた。彼らは夫、妻、息子の3人だけで自力でリゾートを造っている。

「私は温泉の本を書いています」
 そう言って名刺を渡した。
「入浴してもいいですか?」
「いいですよ」 
 快く承諾してくれた。

 露天風呂は、日本人好みの岩風呂になっている。岩風呂の奥には小川が流れていた。温度は少しぬるいがゆっくりくつろげる温泉である。タイの山奥とは思えない風情だ。山内氏が指導したのだろうか?

 風呂からあがるとご主人が出てきて、敷地内を案内してくれた。木造のロッジが1棟、土壁のロッジが3棟あり、木の上には小さな小屋があった。まるで、ゲゲゲの鬼太郎の家みたいである。ご主人は、今年中にはオープンしたいと話していた。

 チェンマイ市内から50キロほどの場所に温泉リゾートが完成すれば、ゾウ・キャンプとセットで観光の目玉になるだろう。家族で造り、経営するリゾートだから、あえて温泉リゾート民宿と名づけた。宿泊施設には20名ほどが泊まれるが、レストランも造ってもらいたい。庭でバーベキューというのもいいだろう。

「完成したらまた来ます」
そう言って温泉を後にした。

2008年9月5日金曜日

タイ秘湯ツアー第3弾 その14







牛と入浴? プラドゥー温泉

 ツアー最終日は朝から絶好調で、10時半現在で2ヶ所の秘湯を探し当てて1ヵ所に入浴することができた。いろいろ苦難はあったけど、この調子でいくと優秀の美を飾れるかもしれない。

 次に目指すは、県道1001号線沿いにある2ヵ所の温泉。これらの温泉は、隣り合わせの村にそれぞれ湧き出ている。CHAOに地図が載っているので、簡単に発見できるだろう。甘いかな?

 初めはフエイグー村の温泉。フエイグーとは、蛇の小川という意味である。蛇が小川に生息しているのだろうか? 県道沿いにコブラが巻きついている大きな門があった。それがフエイグー村の入り口だ。門をくぐって中に入ると、お寺があった。お寺で工事をしている作業員に温泉のことを訊ねた。彼の話では、村を流れている川まで車で行きそこからは歩いて橋を渡り温泉まで行くというもの。

 とりあえず川まで行くと、橋は途中で沈没していた。雨期の大雨で壊れてしまったのであろう。フエイグー温泉へもたどり着くことができなかった。採石場にある温泉、川が増水して発見できなかった温泉に続いて3ヵ所目である。まぁ、自然相手の仕事だから仕方ないか。

 気を取り直して隣のプラドゥー村へ向かう。CHAOには、県道から入ってすぐのところにあると書かれている。村への入り口を見つけて入っていったが、どこまで行ってもそれらしき温泉は見当たらない。どこにあるのだろう?

 通りすがりの村人に訊いて、やっと場所が確定できた。その温泉は、県道から1キロ入った地点にある黒い仏像が祀られたお寺を左折したところにあった。

 硫黄の匂いが漂う草原には、3頭の水牛がわれわれを出迎えてくれた。そこには、コンクリート造りの露天風呂とその奥には、源泉井戸があった。露天風呂まではすぐに辿り着けたが、そこから先はぬかるみの湿地帯を歩かなければならない。しかも、湿地の下には源泉からのお湯が流れているので気をつけないと火傷をしてしまう。何とか辿り着いて、写真を撮影した。

 コンクリートの露天風呂は37、8度とちょっとぬるいが、入浴可能である。早速着替えて湯船に入る。手足を伸ばして入浴していると、1頭の水牛が近づいて来た。牛が入浴するのかと思ったが、湯船には入らなかった。とりあえず牛とのツーショットを撮影。

 この温泉がある草原にはトイレがあったが、現在は寂れていて使用できない状態である。このプラーオには5ヵ所の温泉が湧き出ているのだから、もっときれいに整備・管理をすれば温泉のある村として売り出せるのではないか。「いで湯の里プラーオで牛と入浴」そんなキャッチフレーズで村興しできるんじゃないの。

 風呂からあがるとちょうど昼になったので、近くの食堂で昼食を食べた。食堂の女店主が日本語を話すことができたので、フエイグー温泉への回り道を訊いた。彼女は知り合いに携帯で訊いていたが、結局判らなかった。

 レンタカーは今日の午後1時に返す契約であったが、もう間に合わないので半日延長してもらった。半日といっても1日分の料金を取られてしまう。仕方ない、チェンマイへの帰りに現在建設中の温泉リゾート民宿へ寄っていくか。

 

2008年9月4日木曜日

タイ秘湯ツアー第3弾 その13







 ついに発見、これぞ秘湯中の秘湯

 牛野原温泉へ案内をしてくれた主人に、ポーンイエン温泉の場所を訊ねた。彼は、県道1150号線を西へ走り検問所を右折しろと教えてくれた。その道は県道1346号線で、ノーンクロック温泉へ通じる道だった。
「ノーンクロックじゃないよ。あそこには行ったことがある。その近くのポーンイエンだよ」
 そう念を押すと、
「分かっている、ファイマヒム村のポーンイエンだ」
 親切でお節介な彼が言うのだから間違いないだろう。とりあえず行ってみるか。

 検問所を右折して、ノーンクロック温泉への入り口付近のお店の前に車を止めた。店の中で作業をしているおばさんに、
「ファイマヒム村のポーンイエン温泉はどこですか?」
 と訊ねた。
「温泉ならこの裏にノーンクロックがあるけど」
 この辺りの人にとっては、温泉=ノーンクロックなのである。確かに、あそこは綺麗に整備された温泉公園で、個室風呂もあり入浴可能な温泉である。でも、われわれが探しているのは、知る人ぞ知る秘湯中の秘湯なのである。

「いや違います。ポーンイエンです」
「あぁ、ポーンイエンね。それならこの先を3キロほど行った所だよ」
 やっと情報を得ることができた。

 言われたとおり3キロほど走って、村人にファイマヒム村のポーンイエン温泉の場所を訊いた。すると。
「あそこを右折して、道路工事をしている所だよ」
 と教えてくれた。やったぞ!

 狭い農道を入って行き、工事をしている作業員に温泉の場所を訊ねた。
「ここじゃないよ、あそこだよ。すぐそこだ。」
 そう言って、森を指差した。
 あそこと言われても、森しかないじゃん。分からないよ。

 仕方なく車に乗って県道まで戻った。すると、先ほどの作業員のおじさんがバイクで追っかけて来た。案内をしてくれるらしい。どこの国でも一緒だけれど、田舎の人は親切だねぇ。助かった!

 温泉は確かに「すぐそこ」にあった。県道から20メートルほど入った場所に湧き出ていた。それは、源泉掛け流しならぬ源泉垂れ流しのドカン風呂温泉だった。ドカンの横には大小の桶が置いてある。地元の村人がかけ湯に来るのだろうか。

 これか、これがポーンイエン温泉だ。源泉の温度は40度と記されている。手を入れるとちょうどいい温度である。せっかく探し当てた秘湯だ、入ってみよう。

 服を脱いで、丸太の橋を渡ってドカンに体を沈めた。草木に囲まれた天然の露天風呂は、日本の温泉旅館では味わえない風情がある。ドカン風呂に入るのはこれが3回目だ。CHAOではドカン風呂を高く評価しており、いずれも秘湯ベスト10の上位に入っている。私もこの温泉を超秘湯と記録したい。ドッカムタイのポンナムローン温泉に続き、CHAO未発見の秘湯に入浴できた! この感動をどう表現したらいいだろう。

 シェーッ!! タリラリラーンのコニャニャチワ オデカケデスカ レレレノレ
 ポックン ポックンと温泉へ行くベシ ニャロメ!

 秘湯の温泉の源泉はドカン風呂の温泉なのだ。ドカンしかないけど タイの秘湯はこれでいいのだ!!

(この文章を故赤塚不二夫先生に捧げます)

2008年9月3日水曜日

タイ秘湯ツアー第3弾 その12







チェンマイ県プラーオの温泉


 昨晩泊まったバンガローは以前よりも綺麗にリニューアルされていて、エアコンまで付いていた。これで1泊300バーツは安い。居心地はとてもいいのだが、夜明けになると近所のニワトリがいっせいに鳴き出して、うるさくて眠れない。5時に目が覚めてしまった。
 
 いよいよタイ秘湯ツアー第3弾の最終日となった。今日は、チェンマイ県プラーオ郡にある4ヵ所の温泉を探し当てて、時間があればメーテンのゾウ・キャンプの近くにある温泉リゾート民宿へ行く予定である。

 7時半にバンガローを出発して、県道1150号線をすっ飛ばした。山越えの険しい道だが、道路は舗装されていて昨日のような危ない場面はなかった。1時間ほどでプラーオの街に到着した。

 プラーオには、ノーンクロックという公営の温泉公園がある。ここは有名な温泉だが、実はこの他に4ヵ所の温泉が確認されている。4ヵ所のうち3ヵ所はCHAOが探し当てていて、地図が載っている。まぁ、地図といっても大まかな地図なので、やはり地元の人に訊かなければ探し出すことはできない。まずは、CHAOが命名した牛野原温泉(バーンポーン)へ向かった。

 県道沿いの小さな食堂で、
「バーンポーン温泉はどこですか?」
 と訊ねた。
「すぐそこだ」
 店の主人がいい人で、案内役を引き受けてくれた。

 彼を車に乗せて500メートルほど走ると、左手に牛がたくさん放牧された野原が見えてきた。そこに温泉が湧いているらしい。だから牛野原温泉か、そのまんまじゃん!

 この土地は個人の所有らしく、柵に囲まれていてゲートがあり、鍵がかかっている。正面のゲートからは入れないので、横から回って柵がない所から中に入る。牛の糞の臭いがする野原を歩いて行くと、温泉が湧いていた。

 水温は72度、硫黄泉で湯量も多い。だが、お湯だけなので熱くて入ることはできない。コンクリートの湯船を造って近くの小川から水を引いてくれば、入浴も可能になる。誰か造ってくれないだろうか? 立派な温泉なのに残念である。

 写真を撮って車に戻る途中、店の主人が盛んに話しかけてきた。初めは何を言っているのか分からなかったが、よく訊くと土地の斡旋をしていた。
「この土地をいくらで買いたい?」
 誰も買うとは言っていないのに、強引に迫ってくる。
「いや、買わないよ。外国人は土地を買えないんだ」
「大丈夫、買えるよ。いくらなら買う?」
「金がないから買えないよ」

 店の主人は地主から依頼を受けているのだろうか。タイ人にしては、かなり熱心な勧誘である。主人の勧めを丁重にお断りして、次の温泉へ向かった。

2008年9月2日火曜日

タイ秘湯ツアー第3弾 その11







天女野原温泉へ

 ドッカムタイ温泉からチェンライ県にあるバンガローへ向かう途中、ワン・ヌア郡の街に立ち寄った。チェンマイ大学の調査では、ランパーン県ターチッ郡ウィアンヌア村に温泉があると記されているが、ランパーンにはターチッ郡という地名はない。これは私の勝手な思い込みだが、ワン・ヌアをウィアンヌアと間違えたのではないだろうか。そこで、ワン・ヌアの警察で温泉があるか訊いてみた。

「この辺りに温泉はありますか?」
「ここには温泉などない」
 と警官。
 警官には逆らえないので、「ありがとうございます」と言って手を合わせた。

 次に、街中にある酒屋のオヤジに、
「この辺に温泉はありますか?」
 と訊ねた。
「45年ここに住んでいるが、温泉のことは訊いたことがない」
 さっきの警官よりも説得力がある。やっぱりないんだ。私の思い込みだった。というか、チェンマイ大学のミスだ!

 国道118号線のガソリンスタンドの脇にあるバンガロー・ホテルに着いたのは、午後3時を回っていた。チェックインをすると、スコールが襲って来た。
「4時になったら出かけましょう」
 2人にはそう話して、私はホテルのオーナーに会いに行った。ネットで検索したある写真を見てもらうためだ。
「この温泉を知っていますか?」
 プリントした写真を見せた。
「うーん、これは昔の写真で、メーカチャンの土産物村にある温泉だよ」

 メーカチャンの温泉へは行ったことがある。なーんだ、そうだったのか。私はまだ知られていない温泉だと勘違いをしていた。

 まだ4時だし、どうしようか? そうだ、ウィアンパパオの天女野原温泉へ行こう。Mさんは初めてだし、実は私は2回も訪れているがまだ入浴はしていない温泉だ。

 その温泉は野原の中にあり、中央に大きな池がある。そこに源泉からお湯が流れている。もちろん、個室風呂もある。以前訪れた時はいずれも午前中だったので、管理人のおばさんが不在だった。今日は、おばさんが待機していた。

「3人です」
 と言うと、おばさんは個室風呂の鍵を開けて浴槽にお湯を入れてくれた。
 お湯が溜まるまで待っている間に、Mさんは水着で池に飛び込んだ。池には温泉が流れ込んでいるが、全体が温かいわけではない。それでも、楽しそうに泳いでいた。

 個室風呂は1人30バーツ。浴槽はタイル張り円筒形の二段風呂。今日は鉄砲かついで山歩きをしてきた。私と新井さんは滝つぼ温泉に入ったが、少しぬるめだった。Mさんはまだ入浴していない。3人そろって熱めの湯に浸かった。1日の疲れを癒すには十分な温泉である。

 さぁ、明日はツアー最終日。チェンマイ県プラーオ郡の4ヵ所の温泉を回ってチェンマイへ戻る。時間があれば、ゾウ・キャンプの近くにある温泉リゾート民宿へも立ち寄りたい。

2008年9月1日月曜日

タイ秘湯ツアー第3弾 その10







続・鉄砲かついで秘湯探し

「おじさん、ちょっと。ドッカムタイ温泉はどこ?」
 バイクに乗ったおじさんに訊ねた。
 すると、おじさんは頷き俺について来いという素振りを見せて、Uターンしてバイクで来た道を走り出した。ラッキー、地獄で仏とはこのことだ。

 走り出したバイクはかなり古く、30キロしかスピードが出ない。その後をゆっくりとついて行った。もうそろそろかなぁと思ったが、バイクは停車しない。そのうちに、先ほどのゲートが見えてきた。どうしたの、おじさん。本当は知らないの?

 ゲートの人に話を訊くと、温泉はここから山道を歩いて2キロということだった。またしても早とちりだ。初めからガイドを頼めばよかった。
「すみません、温泉まで案内してくれませんか?」
 そう話すと、
「いいよ。でも、もう昼だから食事を食べてから出掛けよう」

 時計を見ると11時半。朝7時に食べたきりだから、われわれも腹が減っていた。でも、山の中に食堂などない。水を飲んで我慢するか。

 ゲートの職員たちは、小屋の裏手にあるテーブルで昼食の準備を始めた。準備といっても、青いパパイヤを採ってきてソムタム(パパイヤのサラダ)を作るだけだ。あとは持って来たもち米と茹でた竹の子。合歓の葉も千切って食卓に加えられた。

「さぁ、一緒に食べよう」
 食べ物がなくて困っていたわれわれは、ありがたく頂くことにした。

 私とMさんは辛い料理は大丈夫だが、苦手な新井さんはもち米を丸めて少しだけソムタムにつけて食べていた。本場のソムタムはかなり辛かった。

 昼食を食べ終わり、いよいよ出発だ。職員のひとりが鉄砲をかついで歩き出した。その後をわれら3人が続き、最後にもうひとり若者が付いてきた。2人もガイドが付くとはかなり険しい道なのだろうか?

「どうして鉄砲を持っていくの?」
「野生のゾウやイノシシが出るんだ」
 とおじさん。

 ゾウは大好きである。目がかわいいし、大きな身体の割には大人しいからだ。だが、それは飼いならされたゾウで、野生のゾウは見たことがない。野生のゾウは凶暴なのか? それよりも、イノシシの方が危なそうだ。

 2人の職員は温泉への入り口で、倒れていた看板を立てかけようとしたがダメだった。そこには、「ポン ナム ローン」と書かれていた。これがあればすぐに分かったのに。でも、2キロの山道をガイドなしで歩くことはできない。道に迷ったら大変だし、野生のゾウやイノシシが現れたら危険だ。ガイドを頼んで正解だった。

 森の中の緩やかな登り坂を歩いて行くと、石畳の沢に突き当たった。そこからは沢登りである。沢の中を歩いていると、後方に獣の気配を感じた。イノシシか? 振り返ると白い犬が後を付いて歩いていた。ゲートで飼っている犬である。おじさんが鉄砲を持ち出したので、獲物にありつけると思ってやって来たのだろう。

 30分ほど歩くと小さな滝があり、その上に源泉が湧いていた。水温はかなり熱い。そのお湯が沢に流れていて、先ほどの滝壺が丁度いい温度になっていた。せっかく苦労してここまで来たのだから、入浴しよう。

 私と新井さんは、水着に着替えて滝壺に飛び込んだ。少しぬるめだったが、森の中の露天風呂は風情があって最高だった。多分、ここの温泉に入った日本人はわれわれが初めてだろう。やったぜ、ベイビー!

 ガイドをしてくれた2人には、ガイド料と食事代として300バーツの御礼をした。
 ありがとう、皆さん。またいつか来ます!

2008年8月31日日曜日

タイ秘湯ツアー第3弾 その9







 鉄砲かついで秘湯探し

 ツアー初日、2日目は予定通りに温泉を発見することができず、みんなピリピリしていた。というか、神経を尖らせていたのは私だけかもしれない。今となっては、タイの秘湯探しがライフワークになってしまったからだ。後2日間で全行程を回れるだろうか? まぁ、行ける所まで行くしかないか。だって、ここは、タイだも~ん!!

 8月18日AM7:30、気合を入れて出発。国道1号線を南下して、道路沿いの民家でンガーオ郡ドッカムタイ村の場所を訊ねた。なんだか、舌をかんでしまいそうな地名である。私が自らペンをとり、訊いた通り地図を描いた。ポイントからポイントまでの距離も書き記した。これで完璧だ!

 ドッカムタイ村への看板は、私の意に反して簡単に発見できた。今日はついているぞ!
村に入り民家で温泉の場所を訊いた。すると、
「ここからは川を渡っていくことになるが、橋が壊れていて通れない」
 と言われた。

 村役場の出張所のような所で訊いてみたが、答えは同じだった。要するに、国道まで戻ってンガーオの街へ出てそこから山に入るというものだった。ということは、ここはドッカムタイ村じゃないの。それとも、他にもドッカムタイ村があるのだろうか? 

 国道1号線に戻ってンガーオの街に入った。そこは地元の人たちが集まる市場になっていた。交番でおまわりさんに温泉の場所を訊くと、彼は知らなかった。でも、ソンテオに乗っていた人たちに向かって、
「誰かドッカムタイの温泉を知らないか?」
 と訊いてくれた。親切なおまわりさんだ。すると、おばあちゃんが、
「この道(県道1154号線)を20キロ行ったところにある」
 と答えてくれた。ありがとう、おばあちゃん。

 言われたとおり、県道を走った。途中、道路が大きく陥没している所があった。昨晩の大雨で崩れてしまったのだろう。道路の左側に池があり、その水が増水して道路の下の土を浸食して右側の谷に流れたのだ。雨期の北タイではよくあることだ。昼間だからすぐに発見できたが、夜だったら穴に落ちていただろう。危ない、危ない。なんとか、左側ぎりぎりをゆっくりと通り抜けたが、帰りは道がないかもしれない。

 道は少しずつ登り坂になっていて、まっすぐ走って行くとやがてゲートに突き当たった。国立公園のようだが、入園料は請求されなかった。職員に、
「温泉はどこですか?」
 と訊くと、
「ここから2キロ」
 と言われた。

 距離計を見ながら山道をゆっくり登って行った。が、2キロを過ぎてもそれらしき看板も温泉への入り口も見当たらない。そのうちに、となり村への入り口に差し掛かってしまった。一体どこにあるんだ! 

 時計の針は11時を回っていた。昨日に引き続き半日仕事になってしまった。しかも、未だ発見できず。あぁ、もう断念するか。

とその時、後方からバイクが近づいて来た。            つづく

2008年8月30日土曜日

タイ秘湯ツアー第3弾 その8







プレー県の2つの温泉


 ワット・サレン温泉があるプレー県ローン郡にはもうひとつ温泉がある。ワット・サレンの管理人が知っているだろうと思い、訊いてみた。彼はタイ語で行き方を書いてくれたが、地図を描くことはできなかった。昔ながらのタイ人なのだろう、仕方がない。

 お寺で作業をしていた僧侶に地図を描いてもらった。彼は英語で説明をしてくれた。なかなか博学な僧侶である。それにしても、僧侶が土木作業をするなんて聞いたことないけど。

 その地図を頼りに、何とかローン郡のメールムー11という村まで辿り着いた。通りすがりの村人に訊くと、温泉は河原にあるが今は雨期で増水しているため見ることができないらしい。とにかく、現場へ行って確かめなければならない。

 コンクリートの立派な橋の上に車を止めて、河原にある温泉を探した。川にはコーヒー牛乳のような泥水が溢れていて、どこにも湯煙は見えない。河原を見渡すと、足跡がある泥地が目に入った。あの辺りだろうか? これは、乾期にもう一度来るしかないなぁ。

 プレー県にはもうひとつ未確認の温泉がある。それは、以前訪れたことがあるメージョーク温泉(拙書でも紹介済み)の近くにあるバンチェン温泉である。近くといってもそれは65万分の1の地図上でのことで、バンチェン村のバンチェン温泉ということしか手がかりはない。

 メージョーク温泉を通り過ぎて、何とかバンチェン村へ入った。村人たちに温泉の場所を訊ねたが、正確な解答は得られない。さて、どうしたものか?

 ゆっくりと田舎道を走っていると、野原の沼で子供たちが釣りをしていた。何だかこの辺りが臭いぞ。私は長年の勘でそう思った。
「この近くに温泉はある?」
 子供たちは首をかしげている。私のタイ語の発音が悪いのか。
「温泉だよ。熱いお湯が出る、お・ん・せ・ん」
 タイ語でゆっくりと、ボー・ナム・プッ・ローンと何度も発音した。すると、少女が、
「うん、あるある、あそこ」
 と、湿地の奥を湯に指した。ビンゴ!

 湿地の中を歩いて行くと、ドカンがあり温泉が湧いていた。早速、水温を計ろうとしたら水温計が割れていた。ダメだこりゃ。

 チェンマイ大学の調べでは53度、手を入れるとかなり熱い。これでは入浴は無理だ。でも、未確認温泉を発見できてよかった。満足。満足。

 午後4時半、バンチェン温泉を後にして、途中メージョーク温泉を見学する。今日の予定では、もう1ヵ所ランパーン県の温泉を見てチェンライ県のメーカチャンで泊まるはずだったが、またしても制限時間切れ。仕方なく、昨晩宿泊したランパーン市内のホテルへ戻ることになった。

 夕飯はムーガタ(韓国風焼肉)の食べ放題の店へ行き、肉をいっぱい食べて英気を養い明日の秘湯探しに備えた。

2008年8月29日金曜日

タイ秘湯ツアー第3弾 その7







やっと入浴 ワット・サレン温泉

 ランパーン県スーンガム郡の河原にある通称・湯河原温泉を探し出すのに、半日もかかってしまった。またしても時間オーバーだ、なかなか思うようにはいかない。昼食を食べてとなりのプレー県にあるワット・サレン温泉へ向かった。

 この温泉についてはCHAOが先に取材しており、地図も載っていたので比較的簡単に辿り着くことができた。ワット・サレンとはサレン寺という意味だが、お寺の中に温泉が湧いているわけではない。近くにサレン寺があり、この地区一帯の呼び名がそうなっているようだ。

 源泉は、コンクリートで固められた人工的なすり鉢状の庭園にあった。何故か洞窟もあり、作者のコンセプトがイマイチ分からない変わった場所である。温泉は硫黄泉で、源泉の温度は59度と結構熱い。庭園の上手には個室風呂のバンガローが5棟建っている。ここで入浴ができる。

 誰かいないかと探してが、管理人室は鍵がかかっていた。どうしたのだろう、今日はお休みか? 8月17日は日曜日で、温泉が休みのはずはない。管理人らしき人を探したがどこにもいない。仕方なく、近くにあるサレン寺へ出向いた。

「温泉に入りたいのですが」
 そうおばさんに話すと、管理人に電話をかけてくれた。
「すぐに来ますから待っていてください」

 温泉に戻って待っていると、草刈機を担いだオヤジがバイクに乗ってやって来た。
「温泉に入りたいのですが。3人です」
 そう言うと、バンガローの鍵を開けた。中には、北タイおなじみのタイル張り円筒形の2段風呂があった。オヤジさんはお湯と水を出して、浴槽を洗い出した。掃除が終わると浴槽にお湯を溜めた。10分ほどで一杯になり、3人で入浴した。入浴料は1人30バーツ。

 8月15日にチェンマイのサンカンペーン温泉で入浴して以来、2日ぶりの入浴である。サンカンペーンは以前も立ち寄っている。ツアー初参加のMさんのために訪れた訳で、今回の秘湯ツアーでは、初めての温泉入浴となった。

 円筒形2段風呂はいつものものより少し浅く造られているが、2日ぶりの入浴に3人も満足そうだった。今日も含めて今まで苦労をしてきたが、温泉に入っていたら疲れもすっ飛んでしまった。これだから、秘湯探しはやめられない。

 さぁ、次はどこの温泉だ。確か、この近くにもう一つ温泉があったはずだが。そうだ、管理人のオヤジさんに訊いてみよう。

2008年8月28日木曜日

タイ秘湯ツアー第3弾 その6







遠すぎた湯河原温泉


 新温泉探しの初日は苦労の連続で、厳しいスタートとなった。今さらぼやいても仕方がないが、誰にも知られていない秘湯を探し当てるということはなかなか大変なことだ。2日目の今日は、昨日回れなかった温泉と予定の5ヵ所を探し当てて、チェンライ県のメーカチャンまで行かなければならない。

 朝7時36分、ランプーンのホテルを出発して、国道1号線を南下して県道1274号線に入った。スーンガム郡ボーナムローン村への道を訊いて右折し、12キロほど走った。ガソリンスタンドで給油をしながら、ボーナムローン村への道を訊ねた。すると、責任者らしき男が地図を描いてくれた。一昔前は、タイ人は地図の見方も分からず、まして描く事など不可能と思われていたが、最近は地図を描けるようになったようだ。

 その地図には、ガソリンスタンドから34キロ地点に温泉があると記されている。地図に従って走っていったが、途中で分からなくなった。村人たちに訊いても、みんな違ったことを言い出して、どれが本当か分からない。OH、GIVE ME A TRUTH! 同じ道を行ったり来たりしているうちに、刻々と時間は過ぎてゆく。あぁ、どうしたものか?

 ある集落で道を訊ねていたら、荷台一杯に炭を積んだトラックが通りかかった。一目見て炭の行商だと確信した。行商ならこの辺の地理に詳しいはずだ。トラックを止めて、助手席のおやじさんに温泉の場所を訊ねた。すると、ペラペラと喋り出した。ところが、早口で意味が分からない。

「地図を描いてくれませんか?」
 そうお願いしたが、彼は地図が描けないようだった。その時、運転をしていた娘らしき女性がおやじさんの話すことを地図に表してくれた。
「ありがとう」と手を合わせた。親切な父娘であった。

 地図に従って走る。途中、右折ポイントが間違っていたが何とかクリアした。もうそろそろ目的地の20キロ地点だなと思い、お寺の集会所で作業をしていたおばさんに訊いた。
「温泉はこの先の川から湧いているよ」

 やったぁ、これだ!
 数百メートル走ると、大きな橋に辿り着いた。時刻は11時、3時間半もかかってしまった。これじゃ、今日の予定は消化できそうにないな。

 橋の手前でゴマを干していたおじいさんが、親切にも案内をしてくれた。河原に下りると水牛がたくさん草を食べていた。食事をすれば当然糞も出る。そう、河原は牛の糞だらけだった。

 橋の真下にドカンがあり、熱い温泉湯が湧いていた。その他にもいくつかのドカンがある。そして、ドカンだけではなく至る所から温泉が湧き出ていた。これはスゴイぞ、まるで湯河原温泉だ!

 源泉の温度は76度とかなり熱い。河原をスコップで掘って、水とお湯が混じって丁度いい温度にすれば入浴は可能だ。もしくは、ドカンを設置してそこにお湯と水を流し込めばドカン風呂になる。

 残念ながらスコップは持参しなかったので、入浴はできなかった。が、いい温泉を発見できて満足である。次回は、スコップとテントを持って河原でキャンプでもするか。

2008年8月27日水曜日

タイ秘湯ツアー第3弾 その5







民家の裏山にある温泉


 ランパーン県ハーンチャット郡へ行き、メータンノイ村を探しながら車を走らせた。山の中の一本道をどこまでも行くと小さな集落があり、道路にテーブルを並べてパーティーをしていた。結婚式かそれとも誰かの誕生日か?

 そこの村人に、ポーンメン温泉の場所を訊ねると、
「メータンノイ駅の近くだよ」
 という回答が返ってきた。

 来た道を引き返して線路のそばに車を止め、線路を渡って駅まで歩いた。駅舎に座っていたおばあちゃんに、
「ポーンメン温泉はどこですか?」
 と訊くと、山の方を指差した。

 車に乗って線路を渡り、おばあちゃんが指差した方向へ走ると、高床式の民家があった。土間で上半身裸で昼寝をしていたお兄ちゃんに温泉のことを訊くと、彼は赤いTシャツを着て歩き出した。どうやら道案内をしてくれるようだ。

彼は、民家の庭を通り抜けて裏山に入って行った。われわれも彼の後を付いて山道を歩く。山道と言っても草がぼうぼうと生えている様な獣道ではなく、木々の間を通るしっかりとした道だった。

5分ほど歩くと小川があり、そこから温泉が湧いていた。仄かに硫黄の臭いがして、手を入れると温かい。温度を計ると表面の水温は32~3度、土の中に温度計を入れると37度だった。これは間違いなく温泉であるが、湯量も少なく池もないので入浴はできない。でも、ポンプのみの温泉と謎の未確認温泉の後だから、何となく満足だった。

帰り道にMさんは、赤い花を見つけて写真を撮っていた。それは、生姜の一種でクルクマという品種。日本には野生種がない、珍しい花らしい。私には何だかよく分からないけど、珍しいということで、とりあえずカメラに収めた。

ハーンチャット郡にはもう一つ温泉がある。ある集落でファリアン村の温泉の場所を訊ねた。そこへ行くには、車を止めてから2キロほど山の中を歩かなければならないと言われた。時刻は午後4時を回っていた。これから温泉への入り口を探して、ガイドを雇って2キロも歩くのは困難だ。多分、明るいうちに見つからないだろう。みんなと協議の結果、断念することになった。今日の予定では、スーンガム郡の温泉へも行くつもりだったが明日に行くことにした。やはり、1日で5ヵ所も回るのは難しい。

ランパーンの街へ行き、1泊450バーツの安ホテルに投宿した。夕飯は、高級リゾートホテルのガーデンレストランで優雅にタイ料理を食べた。同じ料理でも、安食堂の料理とは一味違う。いい雰囲気で食事をしていたら雨が降ってきたので、室内に入りタイ古典音楽の生演奏を聴きながら楽しいひと時を過ごした。

今日は、初日からハードな1日になりあまり成果もなかった。温泉入浴もできなかった。おまけに、1ヵ所は明日に繰越になった。明日はいつもより30分早めに出発して、6ヵ所の温泉を探すぞ!!!

2008年8月26日火曜日

タイ秘湯ツアー第3弾 その4







謎につつまれた温泉

 田んぼの中のポンプ温泉を9時40分に出発して、次はメーター郡ターカー村へ向かった。国道11号線沿いにある土産物村に立ち寄ってタイ語で書いた温泉名を見せたが、誰も知らなかった。あまり温泉に興味がないのだろうか?

 次に、国道沿いの民家で訊ねたら、親切に地図を描いてくれた。
「この先のガソリンスタンドをUターンして、警察を左折するんだ」

 言われたとおりに走って行ったが途中で不安になり、警察でおまわりさんに左折ポイントを訊いた。普段、警官にはいいイメージを持っていない。特に、ハイウェイパトロールのおまわりは、人の弱みに付け込んですぐに賄賂を要求するからだ。ところが、田舎のおまわりさんは親切丁寧に道を教えてくれた。おまわりも悪い人ばかりじゃないんだなぁ。

 道に迷いながらターカー村を目指して走って行った。もちろん、途中で何度も道を訊ねながらである。やっと核心に迫ってきたところで行き過ぎてしまい、畑を通って山を登るととなり村に出てしまった。

「一体どこにあるんだ! さっきの農夫は山の上だと言ったのに」

 クソ! だんだん腹が立ってきた。それは、道を教えてくれたタイ人に対してではなく、タイ語が未熟な自分自身に対してである。

 再び山を下りて、果樹園で農作業をしている男に訊ねた。すると、山を登ってそのまま曲がらずに赤土の道をまっすぐに行けと言った。そうか、分かったぞ! 車がやっと一台は入れそうな獣道を行くんだ。

 気を取り直して山を登り、行き止まりかと思われた未舗装の山道へ入って行った、幸い雨は降っていなかったので道は乾いていた。これなら走れる。赤土の凸凹道をどこまでも行くと、ゲートに突き当たった。何だろう? 国立公園にしてはみすぼらしいが。

 ゲートの先には砂利が積まれていて、遠くの山肌は切り崩されている。そうか、ここは採石場だ。見張り番のおばさんに温泉のことを訊くと、この中にあると言う。見学したいと話すと、携帯電話で誰かに電話をかけた。
 マネージャーに電話をしたが通じない様子。
「この先に事務所があるから、そこでマネージャーに許可をもらって」
 とおばさん。

 ゲートをくぐって採石場の中に入ると、事務所兼従業員宿舎があった。そこには、口ひげがある色黒・強面のオヤジが立っていた。
「温泉を見学したいのですが」
 率直に言うと、
「今、発破をかけているのでダメだ。午後1時に来れば案内してやる」
 そう言われたので、また来ますと言って立ち去った。

 まだ11時半だけど昼飯にするか。麓の掘っ立て小屋のような食堂でチャーハンを食べ、インスタントのコーヒーを飲んで時間をつぶした。

 1時5分前にゲートに行くと、さっきのマネージャーがやって来て、
「見学はダメだ」
 と言った。

 だったら、最初からそう言えよ。こっちは忙しいのに1時間半も時間をつぶしたんだぞ。この嘘つき野郎!

 結局、ランプーン県メーター郡ターカー村のムアンテーニティ温泉を見ることはできなかった。外部の人に見せないとは、金鉱でもあるのだろうか? それとも、大麻を栽培して麻薬を作っているとか? 謎は深まるばかりだった。

2008年8月25日月曜日

タイ秘湯ツアー第3弾 その3







田んぼのポンプ温泉

 最初に探す温泉は、ランプーン県ランプーン市内にあると書かれている。市内ならすぐに見つかるだろうと思い、ゲストハウスのオーナーや居酒屋どんきの従業員に聞き込み調査をしたが、誰も知らなかった。チェンマイにある大型書店・スリウォン書店でランプーン県の地図を探したが売り切れだった。この温泉に関しては、事前に何の手がかりもない。これじゃ、初めから苦戦になりそうだ。

 さて、どこから調べようか? 市内というのだから駅へ行ってみよう。早速、ランプーン駅へ行き、休憩をしていた駅員に訊ねた。
「ノーンロム温泉を知っていますか?」
「知らないなぁ、ランプーン市内には温泉なんかないよ」
 そうはっきりと言われてしまった。 ショック!

 でも、すぐにはあきらめない。今までの経験からタイ人の話は50%くらいしか信用できない。数人に訊かないと真実は出てこないのである。

 駅を後にして線路沿いに走ると、建設中の小さなお寺が見えた。その敷地に入って、建物の中にいた女性に訊いてみた。すると、温泉はあると言う。彼女は、ノーンロム村への地図を描いてくれた。大雑把な地図だが、何の手がかりもないわれらにとっては有難い。近くに行ったらまた地元の人に訊けばいい。
「ありがとう」
 と手を合わせて、お寺を後にした。

 地図に従い国道11号線に出て、カオチャンボーン村を左折した。その先がノーンロム村である。しかし、どれくらい距離があるのか分からない。途中で何回か村人に道を訊いて何とかノーンロム村に辿り着いた。チェンマイから1時間以上かかった。

 村に入ったところまではいいが、温泉の場所が分からない。車で行ったり来たりしていると、農作業をしていた男性が見るに見かねてバイクで案内をしてくれた。着いた所は田んぼの中で、車を止めて100メーターほど歩くとポンプがあり、温泉湯を汲み上げて田んぼに流していた。これがやっと探し当てたノーンロム温泉か! やれやれ。

 ポンプだけだから当然入浴などできる訳がない。苦労した割には、厳しいスタートとなった。しかし、これが秘湯探しの醍醐味である。何が出るか分からない。入浴可能なすばらしい温泉もあれば、ポンプだけ、源泉だけの温泉もある。とりあえず写真を写して温泉を後にした。

 さぁ、次はどんな秘湯が待っているのだろうか? 気を取り直して出発!

2008年8月23日土曜日

タイ秘湯ツアー第3弾 その2







超有名サンカンペーン温泉

 8月15日、今日は終戦記念日だ。戦没者に手を合わせ黙祷。
 9:45に夜行列車でチェンマイに着いた。寝台車は快適であったが、長袖シャツを忘れてしまいタオルケット一枚では寒かった。今日はチェンマイに宿泊する予定で温泉探しには出掛けないが、初参加のMさんのためにチェンマイで一番有名なサンカンペーン温泉へ案内することになった。

 駅からソンテオに乗り、ナイトバザールの食堂街・アヌサーンマーケットの裏にあるランナータイ・ゲストハウスへ向かう。このゲストハウスは居酒屋どんきやランベル旅行代理店にも近く便利がいい。料金は一部屋350バーツ(エアコン付きは480バーツ)。チェンマイの夜は涼しいので扇風機で十分である。3部屋を取ってチェックイン。

 昼食はいつも使っている居酒屋どんきでカツ煮定食を食べる。食後はランベルツアーでトヨタ・ヴィオスを借りてサンカンペーンへ向かった。

 県道1006号線を走っているとMさんが、
「あっ、あれはキューリ畑や」
 と叫んだ。
「日本のキューリですか?」
「そうや」

 Mさんはかつて農業関係の仕事をしていたので、草木、花、農作物には詳しい。
「帰りに寄って新鮮なキューリをもらおう」
 そんな勝手なことを言っていた。

 サンカンペーン温泉は、私営のリゾート、ルン・アルン温泉と公営のサンカンペーン温泉とに分かれている。以前来た時には、ルン・アルンに入浴してのぼせてしまいサンカンペーンは足湯だけ入浴はしていない。今回は時間があるので、入浴することにした。

 入園料は40バーツ、2年前は確か15バーツだった。石油が上がると何でも高くなってしまう。ちなみにタイ人は半額の20バーツで、タイ人価格にしてもらうように値段の交渉をしたが駄目だった。

 この温泉は、間欠泉が勢いよく噴き出ている。湯量も多く源泉の温度も99度とかなり熱い。温泉タマゴも簡単にできてしまうほどだ。温泉タマゴは後にして、とりあえず入浴。

 個人風呂は1人30バーツの料金がかかる。ちなみにプールは50バーツ。かつては、木造の湯船があったのだが、壊れやすいのかコンクリートに木の湯船を埋め込んだものに変わっていた。そこに熱湯と水を流し込むのだが、お湯が熱すぎて入れない。お湯の蛇口を止めて水だけを流し、やっと入浴できる温度にした。

 温泉湯は硫黄泉で、お肌がつるつるになる。そして、身体の芯まで暖まる。山形県の蔵王温泉に良く似ている。10分ほどで出てきたが、汗がなかなか止まらなかった。ああ、いい湯だなぁ。

 帰りに先ほどのキューリ畑に立ち寄った。誰もいないので勝手に畑に入ってみると、黄色い花の根元に3センチほどの可愛いキューリが実っていた。
「まだ食べられないですね」
「そうやなぁ」

 これで今日の予定は終了した。その晩は、居酒屋どんきで日本食を食べながら一杯のんだ。山に入ったらタイ料理しか食べられない。和食の食いだめである。

 さぁ、明日から新しい温泉を探すぞ!

2008年8月22日金曜日

タイ秘湯ツアー第3弾 その1 再び北タイへ

カンチャナブリ、ガンペンペット・タークに続くタイ秘湯ツアー第3弾は、パタヤの温泉奉行・新井お風呂の守との協議の結果、再び北タイへ行くことになった。拙書においても43ヵ所ほどの北タイ温泉を紹介しているが、チェンマイ大学の調査によるとまだ20以上の温泉がある。今回のツアーでは、ランプーン、ランパーン、プレー、チェンマイ県にある16ヵ所を4日間で回る計画を立てた。
 
 かつては、CHAO(ちょっとディープな北タイ情報誌)の資料を基にして1日平均3ヵ所の温泉を探し当てるのが精一杯であった。ところが、今回は県、郡、村と温泉名だけの手がかりで1日平均4ヵ所を探すというかなり無謀なツアーである。

 雨期の北タイは大雨による河川の氾濫や増水で、がけ崩れ土砂崩れの恐れがある。2年前は、チェンマイを中心に甚大なる被害が出た。だが、欲張りな私はいつも殺人的なプランを立ててしまう。果たして、4日間で16ヵ所の温泉を探し当てることができるだろうか?

 8月14日午後7時、バンコク・フォアランポーン駅に参加者3名が集合した。ツアー初参加のMさんのリクエストで、夜行寝台列車でチェンマイへ行くことになった。新井さんも私もバンコクで用事があったため、別々にパタヤを出発して駅に集合した訳だ。

 列車は7時35分発、ホームにはもう列車が入線していたが、それは6時発のチェンマイ行きだった。すでに1時間も遅れているが、こんなことは良くあることだ。スタートから幸先が悪いけど、仕方なく蒸し暑いホームで缶ビールを飲んで待っていると、となりのホームに列車が入って来た。駅員が「あれが19:35分発の列車だ」と言うと、待っていた乗客は一斉に立ち上がり、となりのホームへ向かって走り出した。

「この列車はどうして発車しないの?」
 そう駅員に訊ねると、
「故障している」
 とひと言。
 と言うことは、われわれはラッキーだった。

 エアコンがガンガンに効いている車両に乗り込み、席に着いた。乗務員が夕食の注文を取りに来たので、ビールと夕食、明日の朝食を頼んだ。やがてビールが運ばれて来て、再び旅の無事を祈って乾杯した。

 8時になると、先発の列車が出発した。2時間遅れである。われわれの列車はその5分後に発車した。ビールを飲み終えると、買ってきたウィスキーを飲み始めた。
「列車の旅はええなぁ!」
 Mさんが呟いた。
「楽しく行きましょう」

 10時に消灯、あっという間に座席が寝台に変わり就寝。

 列車は40分遅れでバンコクを出発したが、チェンマイへは予定通り翌朝9時45分に到着した。

 さぁ、これから北タイ秘湯ツアーが始まるぞ!

2008年8月12日火曜日

どうなるタクシン?

放逐、逃亡、亡命、そして・・・?

天下の偽善者、大悪党のタクシン元タイ首相は、金に物を言わせて罪を逃れようとあの手この手でがんばってきたが、ついに年貢の納め時が来た。女房の禁固3年の実刑判決を受けて身の危険を感じて、家族でイギリスへ夜逃げをしたのである。

 低所得層のタイ人に言わせると、タクシンは神様のような人らしい。ただし、中間所得者層、富裕層からはとことん嫌われている。政治家を買収して政党を作り、法律を変えて悪行三昧。最後は司法介入まで試みたが、無念の失脚となった。

 今までは、金を出せば何とでもなる国であったが、タイも民主主義がやっと定着してきたようだ。悪は滅びて正義は勝つ、これはすばらしいことである。

 資産700億バーツと女房と義兄、秘書の3人の保釈金1500万バーツは没収されることになる。裁判所がタクシン夫妻の逃亡をお膳立てしたという見方もあるが、タイ政府が英国との協定により身柄引き渡しを求めることもできる。さぁ、どうなるタクシン?

 今後は、タイ政府の方針次第でタクシン一族の運命が決まる。もし、タイ政府が亡命を認めて英国政府が受け入れたとしても、英国の田舎で静かにサッカー観戦を楽しむ老後を送るしかないだろう。

2008年8月9日土曜日

タイ秘湯ツアー第3弾のお知らせ

 6月20日にパタヤに戻って以来、カンチャナブリ県(6月29日~7月2日)、ガンペンペット・ターク県(7月25日~28日)の2回の秘湯ツアーを開催した。双方ともに6ヵ所の温泉を巡って来た。今年は10月~11月の間留守にするので、もう温泉はいかれないと思っていたら、温泉奉行のAさんが8月にもう一度行こうと誘ってきた。

 北タイ方面はAさんと2人で44ヵ所を回ったが、まだまだたくさん残っている。今回は、ランプーン県、ランパーン県、プレー県を中心に15ヵ所の新温泉を探しに出掛ける。中には、チェンマイ大学も調べていない温泉も含まれている。果たして、探し当てることができるだろうか?

 期間は、8月14日から20日。チェンマイまでは夜行寝台列車で行き、現地でレンタカーを借りて走り回る。初参加の方がいるので、サンカンペーン温泉やワット・プラタート・ドイ・ステープ寺院などにも立ち寄ることにした。他にも時間があれば建設中のスパ・リゾートなども見てくる予定である。

 いつものことだが、今回もかなりハードなスケジュールになりそうだ。でも、運転はAさんと一日おきに交代制だから大丈夫だ。戻りましたら、ご報告いたします。では、乞うご期待!

2008年8月8日金曜日

タイ秘湯ツアー第2弾 おまけ

ツアー最終日、時速120キロで国道1号線を南下し、その勢いで高速道路に突入した。幸い渋滞はなく、バンコク市内をすり抜けパタヤへ通じるモーターウェイに入った。あとはパタヤまで一直線だ。

 片側4車線の広い道路の右から2車線目を軽快に走っていたら、はるか向こうに人が立っているのが見えた。大きく手を振って、左側に寄るように合図している。減速して近づくと、警官が数十メートル間隔で3人立っていた。あっ、しまった! ネズミ捕りか?

 スピード違反かと思ったが、制限時速は120キロだからオーバーではない。じゃ、何で捕まったの? これは、KEEP LEFT(左側を走る)違反だった。

 4車線を走る時、通常は左側2車線を走らなければならない。追い越しをした場合は、速やかに左2車線に戻らなければならない。ところが、右2車線をずっと走っていたので、捕まってしまったわけだ。

 車を止めて窓を開けると、サングラスをかけた真っ黒な顔の警官が現れた。
「お前は外国人か?」
「はい」
 と言って、免許証を渡した。
「日本人か、タイ語が判るか?」
「はい、判ります」
「ここはKEEP LEFTの区間だ。オンヌットの警察署で罰金を払ってもらうぞ」
 そう言って、警官は違反切符の束を一冊出した。

 警官に逆らったり余計なことを言うと、どんどん罰金が上がっていくのがこの国のしきたりだ。警官に逆らって、一晩ブタ箱にぶち込まれた友人を知っている。ここは大人しくしていよう。

 警官は、親指と人差し指で違反切符の束をつまみ切符に記入する素振りを見せながら、その下で残りの3本の指を小刻みに動かした。それを見た時、ピンときた。3本ということは、300バーツの意味だ。そう、賄賂である。

 そうか、今日は7月28日、給料日前で警官の懐も底をついている頃だ。400~500バーツの罰金を払うためにバンコクのオンヌットまで戻ると、ガソリン代もかかるし高速代もかかる。それよりも、約束の時間に間に合わなくなってしまう。ここはタイ・スタイルを貫くか。

「OK」と言って、財布から300バーツ取り出して警官に手渡した。何と物分りのいい日本人でしょう。警官は眉毛ひとつ動かさず札を胸のポケットにしまい、免許証を返してくれた。これにて一件落着。

 警官に捕まって動揺していたのか、途中の休憩所のスタンドでガソリンを入れるのを忘れてしまった。だんだん心細くなり、ついにはガソリン計のEランプが点灯した。やばいぞ、これは。

 モーターウェイのバイパスにはスタンドがない。仕方なく、バイパスを出て小さなスタンドへ行きガソリンを補給した。その際に、車体の下を擦ってしまった。やれやれ、最後の最後でとんだ散財だ。この事故も交通違反がなければ起こらなかっただろう。

 幸い、保険で直すことになったが、慰謝料として2500Bを支払うことになった。結局、罰金と慰謝料でひとり700Bの負担となった。くれぐれもKEEP LEFTには気をつけてください。

2008年8月7日木曜日

タイ秘湯ツアー第2弾 その9最終章







田んぼの中の赤湯温泉


 2008年7月10日のCHAO(ちょっとディープな北タイ情報誌)に、温泉の記事が掲載された。先を越されてしまったが、もともとのニュースソースは私が発見したチェンマイ大学の温泉分布表である。多分、温泉博士の山内氏は私の本を見て探し当てたのだろう。その温泉は、田んぼの中に湧き出るファイボーンローン温泉という。

 CHAOによると、温泉の場所が判りにくいため地元の青年に案内してもらったそうだ。青年の写真も載っていた。温泉を探すよりもその青年を探したほうが早そうだ。

 最終日は、メーソットからパタヤまで約650キロの距離を走らなければならない。平均時速80キロとして8時間はかかるだろう。しかも、18:30までに車を返す約束だから、10時にはメーソットを出発しなければ間に合わない。時間との戦いだ。

 いつもより1時間早い7時に出発して、1時間で温泉のある村の雑貨屋にたどり着いた。店主に温泉の場所を訊ねると、親切に地図を描いてくれた。その地図に従って、集落の営林署のような所へ行き、温泉の場所を知っているおじいさんにガイドを頼んだ。

 おじいさんを強引に車に乗せて、山間の農道をゆっくりと走り、田んぼが一面に広がった場所で車を降りた。そこからは、徒歩で行かなければならない。温泉セットを持って、草むらを抜け、田んぼのあぜ道を落ちないように慎重に歩いて行く。田んぼを過ぎて山間の沢の中を歩いて行くと、先頭のおじいさんが私の足を指差して何か言った。足を見ると血が流れていた。何だこれは! ブヨに刺されたか? よく見ると、尺取虫のような動きの黒い虫が足にへばりついている。それは吸血動物の蛭(ひる)であった。

 蛭は私だけではなく、みんなの足に食いついていた。あわてて払いのけると、おじいさんは薬草を傷口につけてくれた。さすが山育ちのおじいさん、ありがとう。

 沢を通り抜けると、次の田んぼが広がっていた。田んぼにはまだ稲が植えられていない。温泉はこの田んぼの脇にあるらしい。30分歩いてやっと温泉が湧き出る池に到着した。池からは鉄分を含んだ赤いお湯が流れ出ている。そこで、赤湯温泉と命名した。そう言えば、山形県にも同じ名前があったなぁ。

 時間がないので、早速着替えてサンダルを履いたまま池に入る。澄んでいた温泉水はたちまち赤く染まった。自然に湧き出ている温泉にしては丁度いい温度である。水温を計ると39度だった。私とAさんは入浴したが、FさんとSさんは遠慮して入らなかった。蛭が恐かったのだろうか?

 これでツアーの予定は終了した。結果は6ヵ所の温泉を探し当てたことになる。私としては満足である。皆さん協力ありがとう。

 時間がないので早足で車に戻った。おじいさんを営林署まで送り、お礼を言って100バーツ渡した。時刻は9時45分、メーソットまでは1時間はかかる。45分の遅れだ。さぁ、ぶっ飛ばすぞ!

 国道105号線を時速120キロで走り、何とか遅れを取り戻した。途中、峠の市場で新鮮なアスパラやブロッコリ、柿などを買って一休み。その後も、時速120キロを守りながら突っ走り、何とか18:00にパタヤに着いた。

 お疲れ様でした。ところが、最後に大どんでん返し・・・。

2008年8月6日水曜日

タイ秘湯ツアー第2弾 その8







温泉よりも命が大事

 ジャングルの川べりにある幻の温泉を断念して、午後1時25分にウンパーンを出発した。帰りも往きと同じく険しい山道をくねくねと走らなければならない。だが、帰りは下りなので往路よりも楽だった。途中、難民キャンプの近くにある峠の茶店でコーヒーを飲み休憩した。今日はメーソットに戻るのが精一杯だろう。

 山を下ると道は平坦になり、時速120キロですっ飛ばした。ほとんど車は走っていないけれど、たまにのんびり走っている車に出会うとあっという間に追い越した。メーソットへ向かって軽快に走っていると、珍しく渋滞に巻き込まれた。何だろう? 

 車を止めて前方を見ると、ピックアップトラックがセンターラインをまたがって斜線を塞いでいる。事故だ! 警察官の誘導によりゆっくりと近づいて行くとトラックの運転席側がめちゃくちゃにつぶれていた。これじゃ運転手は大怪我を負ったか、もしくは即死したかもしれない。

 トラックの左側の草むらには大型トラックが横転していた。積荷のキャベツが散乱している。多分、よそ見か居眠り運転で正面衝突をしたのだろう。楽しい温泉旅行の最中に、悲惨な事故現場に遭遇してしまった。事故は悲惨だったが、散乱したキャベツの前で何もなかったかのように黙々と飛び散ったキャベツを竹の籠に入れているおばさんの姿は滑稽だった。周りに群がる野次馬たちも、心配そうにキャベツを見ていた。まさにチャップリンの悲喜劇の世界で、思わずみんなで笑ってしまった。

 今まで猛スピードで飛ばしていたが、大破したトラックを見たらアクセルを踏む右足に力が入らなくなった。
「ゆっくり行きましょう」
 自分で自分を諭すように言った。

 メーソットの街には5時前に着いたが、もう1ヵ所の温泉は場所が分かりにくいので明日の早朝に出かけることにした。ホテルを探すのも面倒なので、昨晩の妖しいホテルに投宿した。お疲れ様でした。

 最後の晩餐は野菜炒めと焼き鳥じゃ寂しいので、豪華な中華料理店へ出向いた。豚の角煮、青菜炒め、焼きビーフン、魚のすり身のフライ、餃子、アヒルの煮物などを注文して、4人で腹いっぱい食べた。ビール大瓶を3本頼んで、会計は全部で900バーツだった。バンコクだったら2000バーツくらい取られるだろう。やはり、田舎は安いなぁ。

 明日の最終日は、午前中に温泉を探し当ててパタヤへ戻る計画だ。実は、その温泉は山間の田んぼの中にあって歩いていかなければならない。その情報を知っているのは、Aさんと私だけだ。別に悪意はなかったが、Fさん達には内緒にしておいた。行ってからのお楽しみだ。