2008年4月20日日曜日

ワイン飲み放題 IN PATTAYA




 セントラル・パタヤのビーチロードに、夜になると外壁に七色のネオンが灯るド派手なホテルがある。名前は、ハードロック・ホテル。ご存知の方も多いと思うが、あのハードロック・カフェの系列のホテルである。

 先月、帰国する2日前にパタヤの友人から夕食に誘われた。

「美味しいチーズ食べ放題、ワイン飲み放題の場所があるんですよ」
 と友人。

 パタヤの食べ放題というと、119バーツのムーガタ(韓国風焼肉)しか行った事がない。まして、ワイン飲み放題なんて聞いた事がない。どこかと訊ねたら、ハードロック・ホテルであった。

「それはいいですね。是非行きましょう」と言ったものの、料金が気になった。ハードロック・ホテルは新しいホテルであるが、宿泊料は結構高い。一泊6000バーツ以上と聞いている。ちょっと不安になったので、確認しに行った。すると、ひとり650バーツであった。

 タイでは、輸入品のワインが高い。安いものでも1本3~400バーツはする。チーズも輸入品なので、高額である。650バーツでワイン飲み放題、チーズ食べ放題(その他にも料理はたくさんある)なら損はしないだろう。

 当日、ホテルのロビーに集まった我ら3人は、ビュッフェ(バイキング)のレストランへ案内された。エアコンの効いた部屋と、野外のテーブルがある。どちらも禁煙だが、雰囲気がいい野外のテーブルを選んだ。

 まずは、生ビールで乾杯。ワインだけかと思ったら、ビール、ウィスキー、ソフトドリンクがすべて飲み放題であった。さぁ、飲むぞ、食べるぞ!

 チーズのテーブルで、大好きなブルーチーズをゲット。隣のカマンベールチーズも盛り付ける。あと、名前は分らないが美味しそうなチーズも皿に乗せた。

 赤ワインを飲みながら、ブルーチーズを食べる。まさに至福のひと時である。

 次は、刺身のコーナーへ行く。刺身の種類は、しめ鯖、サーモン、マグロ、エビなど。刺身と寿司を皿に盛り、これを白ワインで食べた。満足、満足。

 その他、ローストビーフやサラダ、チキンカレーなどたくさんの料理があった。テーブルの後ろにあるバーベキューコーナーでは、串焼きや魚介類のバーベキューを焼いていた。が、他にもいっぱい料理があったので、バーベキューを食べる余裕はなかった。

 久しぶりに美味い料理を食べながら、ワインを味わった。というか、かなり飲んでしまった。赤白合わせて、グラスに6~7杯は飲んだであろうか。多分、ボトル1本以上は空けている。2人の友人も酒豪なので、1人1本は飲んだであろう。

 これで元は取っただろう、そんなケチなことを考えていたら、誘ってくれた友人がご馳走してくれた。日頃御世話になっているからだそうだ。いいんですか、何もしていないのに・・・。

 おかげで、楽しいひと時を過ごすことができた。このビュッフェ、いつまで続くか分らないがパタヤの名所に加えておこう。

2008年4月18日金曜日

妨害者は国外追放だって







 今朝、タイのニュース(newsclip.be)を見たら、北京五輪の聖火リレーのことが出ていた。19日にバンコクで行われる聖火リレーに妨害活動を行った外国人およびタイ国籍を取得している外国人に対して、国外追放や国籍はく奪などの厳しい処分を下す方針を示した。

 世界各国がチベットに対する残虐行為に対して中国を非難し、抗議デモや聖火リレーの妨害行為をしているのに、タイだけは中国の味方をしている。同じ仏教国なのにどうしてこんな厳しい処分を下すのか?

 日本を除く中国周辺の国はその昔、中国の朝貢国であった。遠い昔の話である。現在では、独立国家になっているがまだ中国の影響が強いのだろう。特に、タイの場合は、経済を牛耳っているには華人、華僑など中華系の人たちである。タクシン元首相も客家出身の華人である。

 中華思想というものは、本当に恐ろしい思想だ。中国は常に正しく、世界で一番だと考えられている。その国が嫌いで国を捨てて外国に行き、外国の国籍を取って代々暮らしていても、いざと言う時には中国の味方をする。

 18日にシリントン王女を迎えて聖火の歓迎式典が催され、19日にはチャイナタウンからドゥシット宮殿までの10.5キロを80人のランナーが走る。その中で、当初ランナーの一人に選ばれていたラマ5世の孫娘のナリサラー・ジャクラポン代表は不参加を表明したそうだ。

 日本でも、26日に長野で聖火リレーが行われる。出発地の善光寺は、出発地を返上する方針を固めた。コカコーラなどのスポンサーも撤退したそうだ。

 良識のある人間は、中国のチベットに対する残虐行為を見てみぬ振りをしてはいけない。
何か抗議、行動を起こさなければいけないと思う。五輪ボイコットも視野に入れて

 だいたい、北京の大気汚染、食の安全性、テロ(新疆ウイグル自治区のイスラム教徒たちも抗議活動をしている)などの問題がある五輪はいかがなものかと思う。

 1989年の6.4天安門事件のような事態が起こるかもしれない。
 

2008年4月15日火曜日

プロモーション







 日本に帰って来て、中国の話も書き終えたし、カンボジアの旅行記も終わってしまった。さて、どうしようか。今日は、天気もいいし暖かい。プロモーションに行くか。ということで、拙書『秘湯天国タイだも~ん!!』の宣伝に出かけることになった。

 本と3月10日号のバンコク週報の記事「温泉を観光地開発」のコピーを持って、有楽町にあるTAT(タイ政府観光庁)に出向いた。受付の女性に、

「責任者の方はいらっしゃいますか?」

 と訊ねると、

「所長は出かけております。2時間ほどで戻ります」

 と言った。

「所長さんは日本人ですか?」

 と聞くと、

「タイ人です」

 と答えた。所長は、タイ語と英語しか判らないらしい。

 これは困った。どうやって説明しようか。まぁ、今日は時間もないし次回にしよう。

 有楽町から東京駅までブラブラ歩いて、旅の図書館に入った。ここは、財団法人・日本交通公社が運営している図書館で、国内外の旅行に関する書籍、資料を揃えて公開している。

 アジアのコーナーでタイ関係の本を探したが、私の本は一冊目の『タイ遊学王情報館』しかなかった。1時間ほどインド関係の本を調べてから、受付の女性に、

「私が書いた本を寄贈したいのですが」

 と言うと、

「ありがとうございます」

 と丁重に挨拶された。

 本を差し出すと、

「タイだも~ん、ですね。ここにも置いてありますよ」

 と言われた。本棚にはなかったが、誰かが見ているのだろう。

「ご参考にしてください」

 そう言って、図書館を後にした。

 東京駅から中央線に乗り、新宿に向かった。新宿には知り合いの旅行会社があり、挨拶に行った。その会社は旅人舎という会社で、以前、下川裕治氏の講演会で伺ったことがある。一応、アポイントを取って伺った。

「タイの温泉の本を出しましたので、お持ちしました。参考にしてみてください」

 そう言うと、社長は、

「うちも主催旅行を始めたんだよ。タイの温泉は季節を問わずお湯が出るの?」

 と言った。

 お湯はたくさん出ているし、温度も十分入浴に適している。だが、設備、アクセスが今一歩であることを話した。そして、バンコク週報の記事を見せた。

「近い将来、タイでも温泉ブームが巻き起こりますよ」

 社長は、その記事を食い入るように見ていた。

「是非、温泉ツアーを企画してください」

 そう言って、会社を後にした。

 さて、TATへはどうアプローチしようか? TATに入り込めれば、タイ航空にもコネができるかもしれない。 幼稚なタイ語とインチキ英語で通じるだろうか?

 

2008年4月13日日曜日

陸路で行くカンボジア・アンコールワットの旅 最終章







  カオサンにて


「あー眠い! 朝飯はパス」
7時半の出発に間に合うように起きて、シャワーを浴びてチェックアウトをした。レストランでは、Fさんが食事を終えてコーヒーを飲んでいた。時間がないので、冷蔵庫からコーラを出して朝食代わりに飲んだ。

 我々と一緒に来た日本人客のうち、3人は昨日飛行機でバンコクに帰り、数人はどこか別の場所へ行ってしまった。残ったのは、男7人だけである。

 パイリン行きのバスは、大勢の客を乗せて7時50分に到着した。早速、バスに乗り込んだが、3人はまだ来ていない。寝坊だろうか。

 バスに乗り込むと通路はザックでいっぱい置いてあり、足の踏み場もないほどである。空席はちょうど7席しかない。最後部に5席空いていたので、そこに4人で座った。荷物は、座席の後ろに置こうとしたが、もうすでに山のように積まれていた。仕方なく、通路に重ねておいた。

 残りの3人は、15分ほど遅れて乗り込んで来た。これで満席である。バスは定員の乗客と山のような荷物を乗せてパイリンに向けて出発した。

 舗装道路の市内を抜けて郊外の悪路に入ると、またしてもエアコンが止まった。というか、パワー不足になるので運転手が故意に切ったのである。仕方ない、また怪傑ハリマオのスタイルで耐え忍ぶか。

 3泊4日で3900バーツの超格安貧乏ツアーはこんなものだ、と諦めてしまえばそれなりに納得がいくものである。ところが、砂埃と暑さに追い討ちをかけてさらに悲劇が起こった。

 バスが凸凹道に入ると、後ろの山積みの荷物が頭に落ちてきたのである。落ちたザックは奥へ押し込むのだが、振動でだんだん前に出てくる。これではおちおち眠ることもできない。大きなザックは通路に降ろして何とか態勢を整えたが、それでも何度か後頭部を襲われた。これが格安ツアーの辛いところである。

 荷物のトラブルはあったが、途中で昼食を食べて無事パイリンに着いた。タイに入国してアランヤプラテートからはミニバスでバンコクへ向かった。

「タイの道路は綺麗だなぁ!」

「タイはいい国だ!」

 同行した若者(大学を卒業して今春に就職する)は口々に話していた。

 別に、カンボジアが悪い国というわけではないが、道路事情に関してはタイの方が上ということだ。

 午後6時、出発地点のカオサンに到着した。これで解散だ。我ら3人は、カオサンでもう1泊する予定だった。あとの3人も宿を探していたので、同じゲストハウスに投宿した。

「みんなで夕食を食べましょうか?」

 そう言うとみんな賛同してくれたので、近くのレストランへ食事に出かけた。

 席に着き、私が仕切ってオーダーをした。定番のタイ料理、空芯菜炒め、春雨サラダ、ビーフサラダ、パッタイ(タイ風焼きソバ)、エビ炒飯、野菜炒め、イカ焼きなど。

「これは美味しいですね!」

 そう言って、若者たちは料理を食べていた。彼らは、カンボジアへ行く前に数日間タイに滞在していたのだが、あまり美味いものを食べていなかったらしい。夢中で食べる彼らに、

「どう、タイはいいでしょう」
 と言うと、

「はい、いい国です」
 と答えた。

「就職して時間ができたら、パタヤへ遊びに来ればいいよ」

 その後もタイの話で盛り上がり、カオサンの夜は更けていった。
 

2008年4月12日土曜日

陸路で行くカンボジア・アンコールワットの旅 その8







 もう一度空から


 アンコール遺跡群ツアーは、2日目の午前中に天空の城、神秘の迷宮ベンメリアを見学して、予定を終了した。午後はフリータイムとなる。さて、どうしよう? せっかくアンコールワットまで来たのだから、ホテルで半日寝ていても仕方がない。

 我ら3人は、オプショナル・ツアーのメニューから、アンコールバルーン(気球に乗って遺跡群を見る)ツアーを選んだ。上空200メートルからの眺めはすばらしいに違いない。料金は、ひとり20ドル(バルーン15ドル+送迎5ドル)である。3人とも気球は初めてで多少不安はあったが、ロープが付いているので乗ることにした。

 ベンメリアで昼食を食べて、一度ホテルに戻った。他のツアー客を降ろして、バルーンの飛行場へ向かう。午後2時に到着したが、我らの他に客はいない。20分後に出発と言われ、待合所で休んだ。待合所と言っても屋根があるだけの建物なので、かなり暑かった。

 やがて大型バスが到着して、団体ツアーの日本人客が大勢降りてきた。一度に全員は乗ることはできない。定員は12名、2班に分かれてバルーンに乗った。我らは、第1班と一緒に乗り込んだ。

 この気球は熱気球ではなく、ヘリウムガスを使っている。出発すると、あっという間に大空へ舞い上がった。高度計を見ると、107メートルで止まっている。あれ、200メートルじゃないの? その日の上空は風が強く、107メートルが限界であったようだ。

 それでも、上空からの景色はすばらしい。遠く東方には、環濠に囲まれたアンコールワットが毅然とそびえ建っている。その景観をカメラに収めた。

 昨日登ったプノン・バケン山も下方に見える。アンコールワットとの位置関係も良く判った。シェムリアップ空港の滑走路もはっきりと見えた。これぞ360度のパノラマ、絶景である。わずか10分ほどの空の旅であったが、いい想い出になった。

 下降して1時間ほど経ってから、ツアーの車が迎えに来た。ホテルに戻って解散したが、友人が買い物をしたいというので、オート三輪でオールドマーケットへ出かけた。土産物屋の女性は日本語が上手だった。友人は時間をかけて交渉して、Tシャツとマフラーを買った。14ドルでTシャツ5枚とスカーフ2枚ほど買い物をしたようだ。なかなか値切り上手である。

 夜は2日間のお礼の意味をこめて、ガイドのティーさんと運転手を誘って食事に出かけた。ティーさんが案内してくれた場所は、レストランとナイトクラブが一緒になったような店。そこで、大きなピチャーに入った生ビールで乾杯をした。うなぎの炒めものやエビの唐揚げなどを注文して、楽しいひと時を過ごした。

 お腹もいっぱいになり、ホテルに戻った。ティーさんは帰宅したが、私にはまだやることが残っていた。それは、朝に約束したバロット(ひよこ卵)である。

 コンビニの前の屋台へ行き、早速ひよこ卵を注文した。硬い殻を割ると、寝ボケた顔の雛が首をもたげて丸まっていた。思っていたよりもグロテスクではなかった。それをスプーンですくって、口の中に入れた。舌に硬いものが当たった。吐き出してみると、それは小さな口ばしと羽根の一部だった。味は卵の黄身と同じで、目をつぶって食べれば判らないだろう。これでもう思い残すことはない。

 バイヨン寺院、タ・プローム僧院、アンコールワット、ベンメリア、そして上空からのアンコール遺跡群。楽しく充実した3泊4日の旅であった。

 明日は、一路バンコクへ帰る。バスのエアコンが直っていますように!


 

2008年4月11日金曜日

陸路で行くカンボジア・アンコールワットの旅 その7







 神秘の迷宮 ベンメリア


 昨晩は、民族舞踊のディナーショーのあとFさんとカンボジアの夜を散策したが、何も収穫のないままホテルに戻った。疲れた私はすぐに床に就いたが、どうしても納得がいかないFさんは、ホテルの近くにあるコンビニへ出かけたらしい。そこでビールを買って、屋台で一杯飲んだそうだ。歳の割にはタフである。

「昨晩、屋台ですごいものを見たよ!」
とFさんは言う。

 Fさんは、酒のつまみにゆで卵を注文した。固い殻を割ってみたら、中からひよこが顔を出したそうだ。ビックリしたFさんは、「こんなもの 食えるか!」と言って、卵を野良犬にあげてしまったらしい。

 これは、フィリピンの有名な料理でバロット(ベトナムではチュンビロン、中国ではマオダン)と言う。孵化直前のアヒルの卵を加熱した料理で、いわゆる「ひよこ卵」である。

「それは面白そうだ。今夜食べに行きましょう」
 そう言って笑った。

 アンコール遺跡ツアー2日目は、シェムリアップから東へ約80キロの地点にある巨大寺院、ベンメリアを見学する。ベンメリアとは「花束の池」という意味で、三重の回廊、十字型の中庭などの伽藍配置をとる。環濠幅約45メートル、周囲約4.2キロと規模は少し小さいが、アンコールワットを類似点が多く、「東のアンコール」と呼ばれている。宮崎 駿監督の映画『天空の城 ラピュタ』のモデルになったらしい? とも言われている。

 ホテルから車に乗り、国道6号線を東へ走る。途中の村々では、自宅の庭にカラフルなテントを張って、盛大にパーティーが行われていた。ガイドのティーさんに尋ねたら、結婚式の披露宴と言われた。カラフルなテントは、あちこちの村で見られた。乾期は農閑期なので、結婚式が多いらしい。

 舗装道路を2時間ほど走ると、ベンメリアに到着した。参道を歩いて行くと、森の中に崩壊した門が見えた。大きな砂岩のブロックが崩れ落ちて、瓦礫の山になっている。この寺院は、現在も修復が施されないまま森の中にひっそりと眠っているのである。

 中に入ると、崩壊がひどく歩けるところも限られている。これといったレリーフや仏像はないが、観光客も少なく静寂な感じがとてもいい。時が止まり、深い森に埋もれてしまった寺院、ベンメリア。まさに天空の城、神秘の迷宮という雰囲気である。

 無造作に放置された石櫃や、完璧な状態で残っているナーガ(5つの頭を持つ蛇の像)も一見の価値がある。

 このベンメリアは、最近日本人の間では人気の観光スポットになっているようだ。やがて、ボランティアの団体が修復作業を開始するであろう。その前に、ありのままの状態を見学することをお薦めする。アンコールワットに来た時には、足を伸ばしてみるのもいいだろう。

 さて、午後はフリーだ。どこへ行こうか?

2008年4月10日木曜日

陸路で行くカンボジア・アンコールワットの旅 その6







  カンボジアの夜


 アンコールワットから車に乗って、プノン・バケン山の麓まで来た。時刻は午後5時20分。ガイドのティーさんは、
「私はここで待っています。日没は6時前後です」
 と言った。もう疲れたのか、手を抜いている。

 我々は、他の観光客の後をついて山道を登った。15分ほど歩いて坂を登りつめると、テラス状の広場に出た。その奥の丘の上に崩れかけた遺跡がある。遺跡の頂上には、夕日をひと目見ようと観光客が大挙して押し寄せていた。

 夕日を見るためには、遺跡の急勾配の階段を登らなければならない。パタヤの友人Fさん(年齢67歳)は、「危険なので下で待っている」と言った。確かに、登りは大丈夫だが、下りは危険かもしれない。とりあえず、Fさんを残して頂上を目指した。

 頂上には、カメラを構えたギャラリーが陣取っていた。こりゃすごい! 足の踏み場もないぞ。

 木陰から遠くを見ると、アンコールワットが見える。しかし、私の持っているコンパクトカメラでは、望遠にも限界があり上手く写すことはできない。まぁ、夕日だけ撮ればいいか。

 やがて、夕焼けになり夕日が雲に隠れた。その瞬間を何枚か写した。ギャラリーは、まだ懸命に写真を写している。日が沈んで彼らが一斉に下山したら、急勾配の階段はパニックになる。我々は、危険を察して観光客が下山する前にひと足先に遺跡を後にした。

 麓の集合場所に行き、全員が揃ったところで車に乗った。
「今夜は、オプションでディナーショーへ行きませんか?」

 我ら3人は行くつもりだったが、他のメンバーも誘った。すると、全員参加することになった。料金は、送迎付でひとり10ドル。カンボジアの伝統舞踊を見ながらバイキングの食事をして10ドルなら安い。ホテルに戻ってシャワーを浴びて、7時に出発した。

 ディナーショーの場所はジャスミンアンコール・レストランといって、体育館のように広いレストランであった。もうすでに西洋人の団体が大勢座っていた。その一角に腰を下ろして、バイキングの料理を食べていると、奥のステージでダンスが始まった。

 タイもそうだが、南国の古典舞踊はスローテンポのものが多い。暑いからだろうか。カンボジアの伝統舞踊、とくに庶民の踊りはアップテンポのものもあった。頭に尖った金の冠をかぶって踊る様は、タイとよく似ていた。

 舞踊ショーも終わり、お開きになった。車に乗ってホテルへ戻ろうと思ったら、パタヤのFさんが「夜の街へ繰り出そう」と言った。Fさんは年配ではあるが、色気は衰えずまだまだ現役である。とりあえず、ビアバーでビールでも飲んでお茶を濁すか。そう思い、付き合うことにした。

 車に乗る仲間を見送って、二人で夜のネオン街へ向かった。はじめに入ったところは、カラオケクラブであった。薄暗い店内に入ると、マネージャーらしき男が出て来て、ガラス張りの部屋を指差した。そこには、若い女性が7、8人ひな壇に座っていた。何だか、パタヤのマッサージパーラーみたいである。ちょっと怪しい雰囲気なので、「オーク・クン(ありがとう)」と言って店を出た。

 カラオケを後にして寂れた商店街を歩いて行くと、ピンクのネオンが灯った店を発見した。外からは店の中は見えない。
「ここに入りますか?」
「うん、ちょっと覗いてみよう」

 恐る恐る中に入ると、店内は薄暗いが普通のバーだった。ソファに腰を下ろすと、女性がメニューを持って来た。1本2ドルのビールを2本注文して様子をみた。すると、中年の女性が2人来て、我々の隣に腰掛けた。カンボジア語は分からないので、英語で話しかけたら、多少は理解したようだ。

 私の隣の女性は、熱心に私の腕や太ももをマッサージしている。
「奥の部屋でマッサージする? 20ドルです」
 と彼女は言った。

 何だか怪しい雰囲気になってきた。これはヤバイ! Fさんは話もできないまま、無言でビールを飲んでいる。隣の女性と気が合わないようだ。30分ほどしてビールを飲み終わったころ、
「そろそろ出ますか?」
 と言うと、
「そうしよう」
 了解を貰ったので、チェックをした。

 いくらぐらいだろうか? 2ドルのビールを2本飲んだだけだけど、サービス料もかかるのか?

 運ばれた請求書には、4ドルと書いてあった。至って明朗会計である。会計をして、隣の彼女に1ドルのチップをあげて店を出た。

 その後、1時間ほど街を散策したが、パタヤのような開放的なビアバーはどこにもなかった。
「やっぱり、夜遊びはパタヤが一番ですね」
 そう言うと、Fさんも頷いていた。

 カンボジアの夜はFさんの期待を裏切り、2人は疲れ果ててホテルに戻った。

2008年4月9日水曜日

陸路で行くカンボジア・アンコールワットの旅 その5







 天空の楽園 アンコールワット


 3月中旬のカンボジアは乾期ではあるが、日中はかなり気温が上がる。友人の温度計は、最高温度45度を記録した。しかし、空気が乾燥しているため日本の夏のような蒸し暑さは感じられなかった。

 遺跡観光ツアーの初日の午前中は、アンコールトムのバイヨン寺院、象のテラス、ライ王のテラス、タ・プロームを見て回った。昼食を食べて、一番暑い時間帯はホテルで休憩した。3時半にツアーの車が迎えに来て、いよいよ本命のアンコールワットへ向かった。

 アンコールワットは、ヒンドゥー教のヴィシュヌ神に捧げられた寺院であると同時に、創建者であるスールヴァルマン2世を埋葬した墳墓でもある。これは、一見矛盾するようだが、死後に王と神が一体化するという思想に基づいて、王が死後に住むための地上の楽園を意味している。いわゆる、神のための宮殿なのである。

 午後の日差しを背にして、西参道から入場する。両脇の環濠を見ながら西塔門に向かって歩いて行く。西塔門に着くと、入口の柱には銃弾のあとが生々しく残っていた。窓の連子状の格子も所々壊されていた。歴史的価値の高い世界遺産を戦いの盾に使うとは、まったく馬鹿げた輩である。「兵どもの夢のあと」ではなく、「バカヤロウの悪夢のあと」である。

 門の内側に入るとガイドのティーさんが、
「歯を見せて笑う女神がいる」
 と言った。

 門の内側の奥の方に、美しいデバター(クメール語で女神の意)のレリーフがあった。みんな、カメラを構えて写真を撮っていた。どうしてこの女神だけ歯を出して笑っているのか、ティーさんに聞いても判らなかった。

 西塔門を潜り抜けて参道を行くと、3基の塔が見えてくる。正面から見たアンコールワットである。実は、塔は5基あって正面から見ると重なってしまい3基しか見えないのだ。

~当時の人々は、中央祠堂を構成する5基の塔を宇宙の中心を模した物と考えていた。創建者が、王権を神格化するために独自の宇宙観をここで実現したのである~ とガイドブックには書いてあった。当時の人々から見れば、これだけ大きな建造物は宇宙に見えたのかもしれない。

 参道から左側の広場に降りて、聖池に映った塔の写真を写したが、風が吹いて湖面が波打ったため塔が揺れてしまった。残念! 

 第一回廊のレリーフ、特に戦のシーンや天国と地獄の図が印象的であった。舌に紐を通されている人、全身に針を打ち込まれている人、串刺しにされた人など、残酷なレリーフもあった。

 沐浴の池は子供が落ちると危ないので、水は入っていなかった。それでも、何故か涼しげな沐浴の池のほとりでは、僧侶たちも腰を下ろして休んでいた。

 私の知り合いが、今年の正月にアンコールワットの階段から落ちて左半身の7ヵ所を骨折するという大怪我をした。他にも多くの観光客が怪我をしているらしい。そのためか、第三回廊への急勾配の階段は通行不能になっていた。砂岩はもろく破損箇所も多い。階段の幅も狭いため危険である。アンコールワットの遺跡群の階段には十分注意が必要である。

 見学を終えて帰る途中、参道に一匹の猿がいた。日本猿を少し小さくしたような猿だ。人を見ても逃げない。タイと同じ仏教国なので、動物を大切にしているからだろう。猿の隣に腰掛けて木の実をあげると、素直に受け取った。凶暴化した日本の野猿とは大違いである。

 時刻は午後5時を回った。本日最後の観光は、プノン・バケン山に登ってアンコールワットに沈む夕日を見るのである。日没は6時。早く行かないと日が沈んでしまうぞ!
 
 
 

2008年4月8日火曜日

陸路で行くカンビジア・アンコールワットの旅 その4







 梵天の古老 タ・プローム


 バイヨン寺院を一時間ほど見学して、歩いて象のテラス、ライ王のテラスへ向かった。350メートルに及ぶテラスの外壁に造られた象やガルーダの彫刻は、人々を魅了する。このテラスの奥に王宮があるのだが、王宮は木造であったためその痕跡は残っていない。だから、このテラスに観光客が集まるのだ。

 ライ王のテラスの外壁には、神々と阿修羅、女神が描かれている。テラスの上には、ライ王の像が置かれている。ライ王は、ライ病に罹った王という説と、閻魔大王とする説がある。右の手を見ると、確かに指がない。ライ病に罹って溶けてしまったのか、それとも壊れたのか、真相は不明である。というか、この像はレプリカで、本物はプノンペンの国立博物館にある。興味のある人はプノンペンの国立博物館へ行って下さい。

 続いて向かうは、梵天の古老 タ・プロームである。もともとはバイヨン寺院を造ったジャヤヴァルマン7世が母のために造った仏教僧院だったが、後にヒンドゥー教に改宗させられた。バイヨン寺院が仏教、アンコールワットはヒンドゥー教、タ・プロームは仏教からヒンドゥー教。これらの遺跡が造られた12世紀ごろは、仏教とヒンドゥー教が勢力争いをしていたのだろうか。

 我々一行は、西塔門から中に入った。

 「森の中には入らないで下さい。地雷があるかもしれません」
とガイドのティーさんは言う。

 地雷を踏まないように、みんなティーさんの後を続いて歩く。途中の道端で、クメールの伝統音楽を演奏している人たちがいた。彼らは、戦争と地雷によって負傷した人たちである。平和の祈りを訴えながら演奏をする彼らに、わずかばかりの寄付をした。

 建物の中に入ると、砂岩の隙間から巨大に成長した榕樹(スポアン)が顔を出している。顔を出しているというより、上から覆いかぶさっていると言った方が適切な表現だ。大蛇のような木、血管のように絡まる木、鳥の足のような木などが見られる。中には、木に埋もれてしまった仏像の姿もある。

 この神秘的な雰囲気は、映画にも登場している。野生動物を主人公にしたフランス映画の『トゥー・ブラザーズ』やアンジェリーナ・ジョリー主演の冒険アクション映画『トゥーム・レイダー』など。最も有名な巨大木の前には人が溢れていて、順番を待ってやっと写真を撮った。

 それにしても、この榕樹は一体何だろう? どうして、こんなに生えてきたのだろうか?この仏教僧院は、後にヒンドゥー教に改宗させられて、その際に仏教色の強い彫刻の多 くが削られたらしい。もしかしたら、仏教の呪いなのかもしれない。私が、呪いだ呪いだ、と話していたら、ガイドのティーさんは「ノー・ノー」と強く否定していた。

 一時間ほどタ・プロームを見学したら、もう汗びっしょりとなっていた。レストランで冷たいアンコールビールを飲み昼食を食べた。カンボジアでは、12時から15時は一番暑い時間帯なので、ホテルに帰ってシャワーを浴びて休憩した。

 アンコールワット観光は、日差しが弱くなった3時半からスタートする。

2008年4月7日月曜日

陸路で行くカンボジア・アンコールワットの旅 その3







 アンコールトムへ


 いよいよ今日からアンコール遺跡の観光が始まる。午前中は、アンコールトムにあるバイヨン寺院と象のテラス、ライ王のテラス、タ・プロームを回り、昼食、休憩を挟んで午後3時過ぎからアンコールワットへ行く。アンコールワットは西向きなので、午前中だと逆光になってしまうため、東向きのバイヨン寺院を見てから、午後にアンコールワットを見ることになっている。

 朝7時に起きてシャワーを浴び、ホテルの隣にある市場でソバ(ビーフン麺)を食べた。冷たいお茶とセットで1ドル。多分、これは外国人価格であろう。なぜならば、ホテルのボーイの月給は40ドルと聞いた。ソバが1杯1ドルだと、40ドルでは1ヶ月は暮らしていけない。でも、我々にとっては100円だからまぁいいか。

 日本から来た友人は、朝5時に起きて「アンコールワットから朝日を見るツアー」に参加していた。私は5時に起きられないので、パスした。パタヤの仲間とソバを食べていたら、ちょうど友人が帰って来たので、彼もソバを注文して一緒に食べた。

 8時半にロビーに集合して、7人ずつ2班に分けて出発した。私たちを担当した日本語ガイドのティーさんは、とても日本語が上手であった。彼は、車内でカンボジアの現状を話してくれた。

「大きな声では言えませんが、現首相のフン・センは悪い奴です。軍隊を牛耳って、自分だけ私腹を肥やしています。我々のような貧乏人は、早く死ねと思っています」
「カンボジアは、地雷や政情不安のため外国企業を誘致できません。みんな仕事がなくて困っています。アンコールワットの入場料20ドルは、ベトナム政府に吸い上げられます。カンボジアは、ベトナムの傀儡政権だから仕方ありません」

 ティーさんは、真面目な顔で話す。

 アンコールワットの観光旅行に来て、遺跡を見る前に何だかいきなり重い話を聞いてしまった。彼は、カンボジアを代表して外国人に現状を訴えているのだ。早く300万個の地雷を撤去して、新しい指導者の下、豊かな国になってほしいものである。それにしても、傀儡政権なんて難しい言葉をよく知っているね。

 アンコール遺跡の入口で、入場券を買う。朝日のツアーに参加した人はもうすでに買っていた。このチケットには、本人の顔写真がプリントされている。なかなか管理が行き届いている。そうか、ベトナム政府が管理しているのだろう。例えば、年間に100万人の入場者があったとすると、2000万ドルもの金がベトナムに流れていることになる。こらは、キッチリ管理するだろう。

 車は、アンコールワットのお堀の横を通り抜けて、南大門の前で我らを下ろした。そこから、歩いて南大門を潜り抜ける。今から800年以上前に造られた、砂岩を積み重ね彫刻を施した門を見ていると、歴史の重みが伝わってくる。と同時に、今にも崩れ落ちそうで少し怖かった。

 門を潜ってからまた車に乗り、バイヨン寺院へ向かう。バイヨン寺院は、12世紀に造られた仏教寺院である。入口の両脇には聖池があるが、乾期のため水はなかった。その代わりに、クレーン車が止まっていた。老朽化して崩れてしまった遺跡を修復しているのである。日本の上智大学のボランティアの人たちが、炎天下の中で頑張っていた。

 バイヨンの見所は、第一回廊のレリーフ。バイヨンでは、日常的な庶民生活や貴族の暮らし、チャンパ軍との戦闘場面が描かれている。説明を聞きながら見ていると面白いが、人が多くてなかなか前に進まない。まぁ、世界的に有名な遺跡だから仕方あるまい。

 観世音菩薩の四面塔が至る所に見られるが、その中でも第二層のテラスには3つの菩薩が並んで見える場所があった。その風景を少し高い位置から一枚写した。

 大勢の観光客に混じって見学をしていたら、この観世音菩薩とまったく同じ顔をした少女を発見した。カンボジア人である。彼女も純粋のクメール人なのであろう。

 それにしても、すごい人だ。気温は40度を超えていた。早く休憩したいよ!

2008年4月6日日曜日

陸路で行くカンボジア・アンコールワットの旅 その2







 アンコールワットの街シェムリアップに到着

 タイからカンボジアに入国して、ポイペトからバスに乗って出発した。途中でエアコンが故障してしまった。よく見るとかなり古いバスで、床はベコベコだし天井から砂が落ちてくる。暑さに耐え切れず窓を開けたら、風と一緒に砂埃が入って来た。みんな、ハンカチやタオルでマスクをしてサングラスをかけた。まるで、砂漠を行く盗賊団のようである。それとも、怪傑ハリマオですか? (ちょっと古い)

 バスは凸凹道を一時間ほど走ると、掘っ立て小屋の前で止まった。その小屋は売店で、トイレもあった。砂埃を払い、ペットボトルの水でうがいをしてトイレへ行った。友人は、裏庭にある井戸で顔を洗っていた。

 乗客がバスから降りると、店の店員はバスを洗車した。これはサービスなのか。運転手は、エアコンのクリーナーをコンプレッサーで掃除している。これで直るのだろうか?

 シェムリアップまではまだ3時間はかかるだろう。何か冷たい物でも飲むか。

 カンボジアのアンコールビールは、1缶1ドル。コーラは、1缶0.5ドル。カンボジアの通貨はリエルで、1ドル=4000リエル=40バーツに換算される。1ドルは約100円だから40バーツ(約130円)は割高になる。これはドルの方が有利である。ドルで買い物をすると、リエルでお釣りがくる。彼らはドルが欲しいのだろうか?

 長い間内戦が続いたカンボジアでは、いつまた内戦が始まるか分からない。国民は、政局が替われば紙くずになるかもしれないリエルよりドルを欲しがっている。ドルが主たる通貨で、リエルは補助通貨になっているのだ。

 冷たいアンコールビールを買って一気に飲んだ。良くわからないけど、これがカンボジアの味だ。
 30分後バスは出発したが、エアコンは直っていなかった。相変わらずの悪路で砂埃が入ってくる。仕方なく、怪傑ハリマオのスタイルでじっと耐えた。

 しばらく行くと、一台のトラックが故障して路肩に止まっていた。荷台には大勢の人と荷物が積まれている。運転手はトラックの後ろに停車した。えっ、どうするの。まさかみんなを乗せてあげるの? 
 さすがに全員を乗せることはできない。橙色の袈裟を着た五人の僧侶だけバスに乗せてあげた。さすがは仏教国である。

 僧侶を乗せたバスはひたすら悪路を走り、周りは日が暮れて真っ暗になった。すると、急に道が良くなってエアコンが効き出した。何だこれは? もしかしたら、悪路ではパワーが必要なのでわざとエアコンを切っていたのかもしれない。

 やがて、街明かりが見えてきた。そう、シェムリアップの街である。大きなホテルやレストランもある立派な街だ。午後7時40分、やっとホテルに到着した。12時間の長旅、ご苦労さんでした。

 SKY WAYという安ホテルにチェックインして、汗と埃だらけの身体をシャワーで洗い流した。時刻は午後9時。3人でサムロ(オート三輪)に乗りバータウンという繁華街へ繰り出して、3階建てのおしゃれなレストランで夕食を食べた。

 隣のテーブルで鍋を食べていたので、同じものを注文した。それは鍋料理ではなく、土鍋で牛肉を煮て、それをライスペーパーに野菜と一緒に巻いて食べる料理だった。いわゆる、生春巻きである。

 その他に、空芯菜炒めや鶏肉の炒め物などを注文した。タイ料理に似ているが、辛さはほとんどなく、どちらかというと甘い味付けだった。

 さぁ、明日からアンコールワットだ。 頑張るぞ!
 

2008年4月5日土曜日

陸路で行くカンボジア・アンコールワットの旅







 カンボジアに入国

 早いもので、タイのパタヤに暮らして4年目を迎えた。当初の目的は、タイ国内や近隣諸国に旅をしてエッセーを書くことであった。一昨年は、タイ北部の温泉へ三回ほど取材に行き、その話を一冊の本にまとめた。また、列車でマレーシアのペナン島、クアラルンプール、キャメロン高原へも行った。
昨年は、陸路でラオスを通り抜けて、中国・チベットへ一ヶ月ほど旅をしてきた。その話もやっと書き終わり、北京五輪の前には出版の予定である。

 タイは、4ヵ国に囲まれた国である。ミャンマー、ラオス、カンボジア、マレーシア、その中で行った事がない国はミャンマーだけだ。現在、治安が悪くビザも発給されないから仕方がない。カンボジアへは、ビザラン・ツアー(ビザ延長のための日帰りツアー)でしか行った事がないので、観光はしていない。いつかはアンコールワットを見に行きたいと思っていた。

 日本の友人に誘われて、バンコクから陸路でアンコールワットへの旅を計画したのは昨年の11月だった。ところが、私の都合により延期になり今年の3月の行くことになった。期間は、3月16~19日の3泊4日。友人は日本から来るので、前後2日間はバンコクに宿泊しなければならない。そこで、15~20日まで彼に付き合うことになった。

 バックパッカーの聖地と呼ばれているバンコクのカオサンへ行き、日本人が経営している旅行代理店で、バスで行くアンコールワット・ツアーを予約した。交通費、ホテル代、ガイド料込みで3900バーツ(ひとり一部屋)。これは安い。飛行機で行ったらプラス1万バーツはかかるだろう。食事代、入場料、ビザ代は別料金で、100ドルほど用意した。

 3月15日夜、パタヤの友人と二人で空港に迎えに行き、タクシーでカオサンへ行った。予約しておいたゲストハウスにチェックインしたら、もう10時を回っていた。3人で遅い夕食に出かけ、ゲストハウスに戻って眠りに就いた。

 翌朝、七時半に集合してバスが来たのは八時半。一時間も待たされた。大型バスで、国境のアランヤプラテートまで行き、昼食を食べている間にビザを取ってもらった。タイを出国して、カンボジアのポイペトに入国した。3月中旬はまだ乾期だが、気温はかなり上がっている。タイも暑いがカンボジアもそれ以上に暑かった。

 日本人のツアー客だけでバスに乗り、ポイペトを出発した。タイの道路は綺麗に舗装されているが、カンボジアの道路はまだ舗装されていない。久しぶりのガタガタ道で、ラリーのような気分である。車が走ると外は砂埃が舞い上がってくる。大型車が前を走っていると、砂煙で前が見えなくなることもある。日本では道路特定財源の問題でもめているが、カンボジアはまともな道路すらできていない状態である。まだまだこれからの国なんだ!

 エアコンをつけているので車内は快適だったが、30分を経過したころからエアコンが止まってしまった。うーっ、暑い! 運転手にエアコンをつけろと言ったが、故障したらしくそのままの状態だ。仕方なく窓を開けた。すると、風と一緒に砂埃が入って来た。これはたまらない。

 みんなハンカチやタオルでマスクをした。砂漠を行くアラビアのロレンス? いや、まるで盗賊団である。やっぱ格安ツアーだからしょうがないかぁ。