2008年4月9日水曜日

陸路で行くカンボジア・アンコールワットの旅 その5







 天空の楽園 アンコールワット


 3月中旬のカンボジアは乾期ではあるが、日中はかなり気温が上がる。友人の温度計は、最高温度45度を記録した。しかし、空気が乾燥しているため日本の夏のような蒸し暑さは感じられなかった。

 遺跡観光ツアーの初日の午前中は、アンコールトムのバイヨン寺院、象のテラス、ライ王のテラス、タ・プロームを見て回った。昼食を食べて、一番暑い時間帯はホテルで休憩した。3時半にツアーの車が迎えに来て、いよいよ本命のアンコールワットへ向かった。

 アンコールワットは、ヒンドゥー教のヴィシュヌ神に捧げられた寺院であると同時に、創建者であるスールヴァルマン2世を埋葬した墳墓でもある。これは、一見矛盾するようだが、死後に王と神が一体化するという思想に基づいて、王が死後に住むための地上の楽園を意味している。いわゆる、神のための宮殿なのである。

 午後の日差しを背にして、西参道から入場する。両脇の環濠を見ながら西塔門に向かって歩いて行く。西塔門に着くと、入口の柱には銃弾のあとが生々しく残っていた。窓の連子状の格子も所々壊されていた。歴史的価値の高い世界遺産を戦いの盾に使うとは、まったく馬鹿げた輩である。「兵どもの夢のあと」ではなく、「バカヤロウの悪夢のあと」である。

 門の内側に入るとガイドのティーさんが、
「歯を見せて笑う女神がいる」
 と言った。

 門の内側の奥の方に、美しいデバター(クメール語で女神の意)のレリーフがあった。みんな、カメラを構えて写真を撮っていた。どうしてこの女神だけ歯を出して笑っているのか、ティーさんに聞いても判らなかった。

 西塔門を潜り抜けて参道を行くと、3基の塔が見えてくる。正面から見たアンコールワットである。実は、塔は5基あって正面から見ると重なってしまい3基しか見えないのだ。

~当時の人々は、中央祠堂を構成する5基の塔を宇宙の中心を模した物と考えていた。創建者が、王権を神格化するために独自の宇宙観をここで実現したのである~ とガイドブックには書いてあった。当時の人々から見れば、これだけ大きな建造物は宇宙に見えたのかもしれない。

 参道から左側の広場に降りて、聖池に映った塔の写真を写したが、風が吹いて湖面が波打ったため塔が揺れてしまった。残念! 

 第一回廊のレリーフ、特に戦のシーンや天国と地獄の図が印象的であった。舌に紐を通されている人、全身に針を打ち込まれている人、串刺しにされた人など、残酷なレリーフもあった。

 沐浴の池は子供が落ちると危ないので、水は入っていなかった。それでも、何故か涼しげな沐浴の池のほとりでは、僧侶たちも腰を下ろして休んでいた。

 私の知り合いが、今年の正月にアンコールワットの階段から落ちて左半身の7ヵ所を骨折するという大怪我をした。他にも多くの観光客が怪我をしているらしい。そのためか、第三回廊への急勾配の階段は通行不能になっていた。砂岩はもろく破損箇所も多い。階段の幅も狭いため危険である。アンコールワットの遺跡群の階段には十分注意が必要である。

 見学を終えて帰る途中、参道に一匹の猿がいた。日本猿を少し小さくしたような猿だ。人を見ても逃げない。タイと同じ仏教国なので、動物を大切にしているからだろう。猿の隣に腰掛けて木の実をあげると、素直に受け取った。凶暴化した日本の野猿とは大違いである。

 時刻は午後5時を回った。本日最後の観光は、プノン・バケン山に登ってアンコールワットに沈む夕日を見るのである。日没は6時。早く行かないと日が沈んでしまうぞ!
 
 
 

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