2009年8月10日月曜日

パタヤの新名所 その1







今年の初め頃の話ですが、パタヤのスクムビット通りにパタヤ・フローティング・マーケットができました。なかなか行く機会がなかったのですが、先日友人が来た際に見に行って来ました。

 フローティング・マーケットと言っても川や運河があるわけではなく、観光用に大きな池を造り、そこに建物を建てて土産物、食べ物などを売っているのです。もちろん、手漕ぎの船に乗って回ることもできます。

 園内はかなり広く、山羊や象もいます。週末はバンコクから観光バスでお客が訪れていました。タイ人の遊び場でしょうか? 入園は無料(船は有料)なので、パタヤに来た際には是非立ち寄ってみてください。

2009年7月24日金曜日

昨日戻りました

 一時帰国からあっという間の12日間が過ぎ、今月いっぱいで廃航になるシンガポール航空(バンコク・成田間)に乗ってパタヤに戻りました。シンガポール航空はお酒のお替りはどんどん持って来てくれるし、機内食(和食)はうな重が出て、とてもサービスがよかったので廃航は残念です。

 東京は梅雨明けしたものの、相変わらず蒸し暑かった。一方パタヤは、気温は東京と変わりないけども、風があるから爽やかで過ごしやすい。やっぱりパタヤはいいなぁ! 今夜は仲間と焼肉パーティーだ。

 とはいえ、遊んでばかりもいられない。早くインドの原稿を書き終えなければ・・・。NOISEやバンコク・シティー・ファインダー、恵庭市民文藝の原稿もあるし、がんばらなくっちゃ!!!

2009年7月20日月曜日

死んでも戦う

 タイの元首相で、国有地購入をめぐる権力乱用で禁固12年の実刑判決を受け、国際指名手配となっているタクシン氏。野党プアタイのスラポン下院議員が17日、潜伏先のドバイでタクシン氏にインタビューをした。自身の今後については、死んで魂になっても戦うと述べ、反タクシン派への反撃を止めないと宣言した。

 相変わらず王室には忠誠を誓っているが、これは彼の言動からもパフォーマンスと分かる。いずれにしても今のところはタイに戻ることはできないから、逃亡先から遠隔操作で金をばら撒き選挙で勝つことを望んでいるのだろう。暗殺者を送り込んで保守派の支援者を殺そうとして失敗し、もう巻き返しは無理だと思う。

 政治家としてやり直したいのなら、まず帰国して潔く刑を受けるべきだ。でも、その前にタイに入国した瞬間に返り討ちに遭うだろう。「死んでも戦う」って言っているんだから、早く死んでもらいたい!!! 亡霊になってタイを呪えばいいんだ。

2009年7月10日金曜日

新しい釣り仲間 その4







 雨季の大物釣りは初めてで天候が心配であったが、今宵は波もなく海は穏やかだった。今回はチェンマイの人たちのサポート役をしなければならないので、眠るわけにはいかない。というか、まだ一匹も釣れていないので、眠ることもできない。レッド・ブルというカフェインの強い清涼飲料水を飲んで、眠気と戦いながら竿先をじっと見つめ続けた。

 海は穏やかだったが海底の潮の流れは速くなり、魚信が取りにくくなった。270グラムの錘を2つ付けても流されてしまう。厳しい状況下で数回釣り場を変えたが、私の竿はピクリともしなかった。この調子だと、今夜は坊主か?

 やがて白々と夜が明け始めた頃、やっと魚信があった。すぐに合わせてゆっくりとリールを巻き取り、久々の感触を楽しんだ。獲物は30センチのハタ、大物とは言えないが何とか面目は保てた。

 夜が明けると回遊魚のポイントへ移り、イトヒキアジを狙った。私も一匹釣り上げることができた。仲間の中でまだ一匹も釣り上げていなかった方も中型のコロダイをヒットした。これで全員が釣ったことになる。よかった、よかった!!

 私の釣果は、ハタ、イトヒキアジ、小型のコロダイ2匹、あまり自慢はできないが、何とか役目は果たすことができた。全体では、30センチ超が20匹くらいであろうか。この時期にしてはまずまずの釣果である。

 夕方4時に帰港してホテルに戻り、その晩は獲物を持って日本料理店へ行き祝杯を挙げた。コロダイとイトヒキアジは刺身にしてもらい、半分は寿司を握ってもらった。フエダイは煮魚にして食べた。チェンマイの皆さん、ご満足いただけましたでしょうか?

 今回は夕方出発の一昼夜の釣りだったので獲物が少なかったが、次回は乾季の11月頃に2泊3日もしくは早朝出発の1泊2日でチャレンジしてもらいたい。超大物は約束できませんが、50センチクラスであれば数だけは釣れると思います。

 どうも、お疲れ様でした!! また遊びに来てください。

2009年7月9日木曜日

新しい釣り仲間 その3







 キャプテン・モッドの船はペンキを塗り替えて、ピカピカに輝いていた。モッドは、タイ人にしては珍しいほど几帳面で綺麗好きな男である。甲板にイカのスミが落ちるとすぐに海水で洗い流して、あっという間にタワシで磨いてしまう。タイ湾の釣りのポイントには詳しく、釣りの腕前も超一流。一番信頼できるキャプテンだ。

 みんな乗船すると、予想以上に綺麗で大きな船に満足していた。船は5時10分前に出港し、1時間ほど走って餌のイカを獲るポイントに到着した。まずはそこで小物を釣った。15~20センチほどのイトヨリダイ、プラデーン(イトヨリダイの仲間)など、暗くなるまで軽いウォーミングアップで釣りを楽しんだ。これらは、明日のご飯のおかずになる。

 午後7時、魚信(アタリ)がなくなったので竿を上げて、夕飯を食べた。おかずはオムレツとグリーンカレー。ちょっと少なかったので、釣り上げたイカを刺身にしてもらって一緒に食べた。食後は仮眠をして、深夜の大物つりに備えた。

 午後10時半、イカ漁が始まった。電灯で小魚を集めて、その小魚を狙って来たイカを網ですくうのである。これを2回やって11時半に出発し、1時間走って最初のポイントに着いた。みんなにセットした竿を渡して大物釣りをスタート。私はみんなのサポート役なので、みんなが見渡せるおおともの左側に座った。みんな一斉に2本針の仕掛にイカを付けて海に落とした。

「初めはなかなか釣れません。竿に魚信があっても早合わせしないでください。魚がイカを飲み込んで、竿先が大きく曲がったら合わせてください」

 初心者だからすぐには釣れないと思っていたら、何と5分も経たないうちにとなり人にヒット!!
「ゆっくり巻き上げてください。根魚は途中でダウンしますから」

 水面に上がってきたのは、60センチクラスのコロダイだった。
「釣れました、本日の第1号!! コロダイです」

 喜びもつかの間、左舷の人もヒット! 同じくコロダイ。2人とも続けざまに2匹目をヒットした。その後、数人の人にもヒットがあったが、私にはまったく魚信がない。困ったなぁ、今夜は魚に見放されたか! 魚種はコロダイを中心に、フエダイ、ムスジコショウダイ、岩サメ、エイ、ウツボなど。エイやウツボは外道だけれど、私には外道すらかからない。どうしたんだろう? 早くしないと夜が明けちゃうよ!!

2009年7月8日水曜日

新しい釣り仲間 その2







 6月30日夕方、チェンマイから釣り仲間9人を乗せた2台の車が、セントラル・パタヤのスーパー・カルフールの駐車場に到着した。初対面の挨拶もほどほどに車に乗り込み、宿泊先のホテルへ向かった。

 リーダーのIさんの部屋で簡単な打ち合わせをして、すぐに夕食を食べに出掛けた。今回、チェンマイの皆さんは大物釣りが目的だが、パタヤで新鮮な魚介類を腹いっぱい食べて、お土産を持って帰るのも大きな目的のひとつである。

 パタヤから車で10分ほど走ると、バーン・アンプーという場所がある。そこには、海沿いに大きなシーフードレストランが並んでいて、生きた魚介類が安く食べられる。その中の1軒に入って、生簀から海老や貝、カニ、魚を選んで注文した。

 蒸海老、大アサリのニンニク炒め、団扇海老の炭火焼、ハタのから揚げ・甘辛ソース味、カニのカレー炒めなど。皆さん「チェンマイにはこんな新鮮な魚介類はない」と声を合わせて無心に食べていた。美味しそうに食べている姿を見ていると、こっちまで幸せになってくる。皆さん、さぞ満足だったに違いない。

 翌日は夕方5時の出港にもかかわらず、釣りの準備をして早朝からラヨーンへ向かった。ラヨーンのフルーツ市場で朝食を食べて、ビーチへ行った。目の前にサメット島が見える綺麗なビーチで、地引網を見学した。昼食はまたもやシーフード。砂浜にあるレストランで昨日食べ忘れたイカの塩玉子炒め、茹でたツブ貝、団扇海老などを注文した。皆さん、相当シーフードに飢えているようですね。

 食後は海軍基地があるサタヒップへ行き、製造元の干物店でお土産の干物やカピ(海老で作った味噌)などを買った。あとは、大きな魚を釣ってお土産にすればOKだ。

 午後4時過ぎにバンサレー港に着いた。船はすでに桟橋に着岸していた。さぁ、大物を釣るぞ!!!

2009年6月28日日曜日

物価高で・・・

 ここのところ、タイの物価が上昇している。昨年の原油の高騰による物価上昇は、原油価格が元に戻った今でもそのままだ。ビール、タバコも値上げをした。タバコは吸わないから関係ないが、ビールの値上げは深刻な問題だ。大瓶一本で約5バーツほど高くなった。当然、バービアなどの飲み屋も値上げしている。その他に、クーポン食堂や屋台も高くなっている。年金等の一定の収入で生活をしている長期滞在者は、厳しい状況になっている。

 そんな状況の中で、朗報もある。昨年末の空港占拠事件で観光客が激減してしまい、タイ政府は3月5日から6月4日まで観光ビザを無料にした。ところが、その後もASEAN会議中止や豚インフルエンザ、世界的不況のため観光客は減っている。そこで、6月25日から来年3月4日までビザの無料化を延長した。

 さらに、航空会社の価格競争が始まり、バンコク~成田往復のシンガポール・エアーが何と、10900バーツ(45日FIX)になった。5年間のタイ生活の中で最安値である。早速、7月10日の便を購入した。これで観光客が増えてくれればいいのだが。

 最近、パタヤのバービアに「FOR SALE」の看板をよく見かける。このまま観光客が減り続けると、タイ経済は破綻するかもしれない。ていうか、バービアがどんどん姿を消して、パタヤからお姉ちゃんがいなくなっちゃうよ!!!

2009年6月23日火曜日

バイクがピンチ その2







 先日、バイクの調子がおかしくなりプラグを交換してアイドリングを調整してもらった。ところが、その後も調子がいまいちで再度アイドリングを上げてもらい、騙し騙し乗っていたのだが、ついに走行中エンジンが止まってしまった。こりゃ、ヤバイぞ!!

 炎天下、バイクを押して30分歩き、路地裏の小さなバイク屋に辿り着いた。主人に訳を話すと、すぐに若い工員に指示を出した。工員は、泥除けなどを外して配線をチェックした。バッテリーは充分にあるのにエンジンがかからない。そのうち、ある部品を指差して「CDI、チェンジ」と言った。

 私は車やバイクのことはほとんど分からない。後で調べたら、CDIとは容量放電点火方式のことで、コンデンサに蓄えた数百ボルトの電圧をイグニションコイルに接続する回路とのこと。要するに、12ボルトの電圧を数百ボルトに増幅してコンデンサに蓄える装置である。これが壊れたら、エンジンはかからないし、点火しないから動かなくなる。

「その部品、いくら?」「520バーツです」「じゃ、交換して」
 交換しなければ直らないのなら、交換するしかない。

 工員は、バイクに乗って部品を買いに行った。主人と工員の2人で経営している小さなバイク修理屋だから、在庫品がないのだ。でも、本当にこの部品を換えれば大丈夫なんですか?

 10分ほどで工員は戻り、CDIユニットを交換した。すると、一発でエンジンがかかった。さすがご主人、いい腕してるね!

 バイクに乗ったら、以前と同じ走りが戻った。やれやれ、これでOKだ!

2009年6月13日土曜日

バイクがピンチ


 2日前からバイクの調子がおかしい。サードで低速になるとノッキングを起こし、交差点で停止するとエンジンが止まってしまう。5年間故障もなしに走ってきたのに、いよいよ寿命が来たか?

 ノッキングを起こして停止してしまうのは、点火プラグが壊れたのかもしれない。そろそろオイル交換をしなければならないし、バッテリー液も補充しなければならない。行きつけのディーラーに持って行った。

 若いお兄ちゃんにエンジンの様子を話した。オイル交換をしている間に、プラグを交換した。ついでに、ヘッドライトも切れていたので、電球を交換。左のステップのゴムも裂けているので、これも交換した。バッテリー液を補充して、バッテリーを充電。

 その他、ブレーキやタイヤなども調整してもらった。パタヤの街中を走る重要な足なので、完璧に整備してもらった。オイル、電球、ステップ、プラグ交換、バッテリー液補充、充電で料金はいくらでしょう?

 日本だったら5000円くらいはかかるんじゃない。タイでは何と、320バーツ(約900円)でした。最近、タイでは酒、タバコが値上がりしている。ビールは日本の2分の1くらいの値段になってしまったが、機械の部品、工賃はまだまだ日本の5分の1くらいである。

2009年6月12日金曜日

パタヤが危ない


 WHOのマーガレット・チャン事務局長は11日夕(日本時間の12日未明)、新型インフルエンザの警戒度を現行の「フェーズ5」から、世界的流行(バンデミック)を意味する「6」へ引き上げると発表した。

 どうなるの、H1N1型インフルエンザ! これから冬を迎える南半球のオーストラリアで感染が1200人以上急拡大している。タイは常夏だから大丈夫だと思っていたら、ついにパタヤからも感染者が出てしまった。

 パタヤを団体旅行で訪れた台湾人2人が感染して、彼らが訪れた飲食店などの従業員の検診を行ったところ、21人の感染が確認された。こりゃ、大変だ!!! これからは、ホテル、病院、観光客が訪れるレストランなどには行かないようにしなければならない。もちろん、ファランが多いバービアやゴーゴーバーへも行かない方がいいだろう。

 ただ、私の場合は毎晩自宅でアルコール消毒をしているから大丈夫。でも、38度以上の熱が出たらタミフルちょうだ~い!!!

 

2009年6月8日月曜日

パパ、帰って来て~

 「タイで、日本人男性とタイ人女性との間に生まれた子供が、日本に帰国して消息不明の父親を捜すケースが急増し、社会現象化している」というニュースが入ってきた。

 5月中旬、タイ中部のピチット県で母親を亡くし、父親を捜すケイゴ君の話題が、地元メディアで連日報道され、世論の同情を集めたのが始まりらしい。在タイ日本大使館によると、同種の捜索依頼はこの半月で1件から22件に増加したようである。

 一夜の過ちを犯してしまった皆さん、お心当たりの皆さん、早く親子の名乗りを上げてください。息子、娘と涙の再会を心から望んでおります。でも、青い目をした金髪の子供に「おとうさん」なんて言われても困りますよね、 何ちゃって!!!

2009年6月7日日曜日

新しい釣り仲間







 先日、ランパーンの友人から突然電話があった。彼はかつて1年ほどパタヤに暮らしていたことがある。現在は、チェンマイのとなりのランパーンで奥さんと田舎暮らしをしている。チェンマイの日本人会で知り合った釣り好きの方がいて、大物釣りをしたいらしいとのこと。

 昨年の1月以来、大物釣りには出掛けていない。釣りとは関係はないが仲間が殺人事件を起こしてしまい、また、わがままで非常識な人間が増えたため計画を断念していた。今年4月でパタヤ生活6年目を迎えて、心機一転、新しい組織を作ろうとしていた矢先のことだった。

 バンサレー港からの大物釣りは、最低でも8名の参加がないと費用が高くつく。チェンマイの釣り仲間は現在4名で、パタヤでは私を含めて2、3名しかいない。というか、誘うことができる仲間は2、3名ということだ。まぁ、6人でも仕方がないか。

 大体の予算と1泊2日の釣行計画を立てて、チェンマイの釣り好きの方にメールを送った。ついでに、昔釣った魚の写真を参考までに添付した。そうしたら、電話がきた。
「こんな大きな魚が釣れるんですか? 私たちは20センチくらいの魚しか釣ったことがありません」
「まぁ、これはあくまでも参考にして下さい」
 と話したが、彼らは写真を見て夢中になってしまった。参加者も増えるらしい。

 こうなると、私もがんばらなければならない。何としても、大物を釣らせてあげたい。人数が確定したら釣り船の予約をして、宿の手配、釣竿と仕掛の準備をしなければならない。また新しい仲間と大物釣りができる。皆さん、楽しみにしていて下さい。

2009年6月3日水曜日

ラオスの温泉、松茸ツアー その9







 ウドンタニ市内に、長距離バスが停まるセントラル・バスステーションがある。その向かい側に40年以上営業している老舗のゲストハウスがあった。エアコンルームが1泊340バーツと安く、そこにチェックインした。フロントの女将さんからバービア街、食事処の情報を得て、7時に出掛けた。

 セントラル・デパートがあるショッピング・コンプレックスの手前の信号を右折すると、市場が3つあった。そこの屋台村で、魚のフライや海老のアスパラ炒めなどを注文して夕食を取った。食後は、バービア街へ繰り出した。

 ソイ・ファランという通りを入って行くと、『Udon Day&Night』という看板があった。その奥はアーケードになっていて、両側にバービアが20軒ほど並んでいた。中に入ってひと回りしたが、女の子も少なく、客もまばらだった。昨年末の空港占拠事件や、今年4月のASEAN会議中止事件などで観光客が減ってしまったのかもしれない。

 あるバービアの前で、日本人から声をかけられた。その男は、友人の店の手伝いをしていると言っていた。女の子も大勢いたので、その店に腰を下ろした。ビールを頼んで、となりに座った女の子と話をした。気になるお値段の話では、Sが1000バーツ、Lが3000バーツだった。これは高い! やる気満々のFさんだったが、相場がパタヤよりも高いので諦めた。やっぱり、パタヤが一番いいなぁ!!

 その晩は、もう1軒バービアに立ち寄ってゲストハウスに戻った。みんな旅の疲れも出ていたので、部屋でウィスキーを飲んで11時に解散した。

 翌朝、8時半のバスに乗ってパタヤに向かった。所要時間は11時間くらいだから、夜7時半には着くだろうと思っていたら、またしても途中でアクシデント。バスがガソリンスタンドで給油して道路に出ようとしたらエンジンが止まってしまった。何やら、ギアーが2ヵ所に入ってしまって動かなくなったようだ。

 エンジニアを呼んで修理をして、1時間40分後に出発した。パタヤに着いたのは夜の9時だった。やれやれ、最後までトラブルに見舞われた旅だった。お疲れ様!!

2009年6月1日月曜日

ラオスの温泉、松茸ツアー その8







 ポーンサワンでの2日間は、あっという間に過ぎてしまった。松茸三昧の夢は叶わなかったけれど、松茸に関する充分な情報を得ることができた。温泉もジャール平原も楽しい思い出となった。次回は、ここからベトナム・ハノイへ行ってみようと考えている。

 夜行バスでビエンチャンに戻り、早朝に定宿のゲストハウスにチェックインした。2人の仲間は昼まで休んだが、私は眠る暇もなくシャワーを浴びてビザ申請に出掛けた。50分前に領事館へ行ったらすでに長蛇の列、番号は214番だった。

 申請を済ませてゲストハウスに戻り、3人で餃子専門店へ出掛けた。遼寧餃子館は餃子だけではなく、本格的な中国料理の店だった。ビールを飲んで水餃子、焼き餃子、麻婆豆腐などを腹いっぱい食べて111000キープ(約1300円)。味もしっかりしていて、値段も安くていいねぇ。

 食後は市内観光をした。まずは、ラオスのシンボル・タートルアンを見に行った。なだらかな丘の上に建つ高さ45メートルの黄金の塔。タイの仏塔とは少し違った形をしている。日陰がないので暑い、暑い! 炎天下でFさんがダウン寸前だった。

 次は、パリの凱旋門をモデルにしたパトゥーサイ(戦没者慰霊塔)。みんな暑さでバテ気味なので、記念写真を撮ってサムロでゲストハウスに戻った。エアコンが効いた部屋で夜まで休憩。

 夕食は、飲茶とラオス風生春巻きのはしごをした。食後は、メコン川沿いの屋台レストランを冷やかした。川沿いをブラブラ歩いていると、日本語で声をかけられた。日本人が経営しているレストランのようだ。ビエンチャン在住の日本人が多いのだろうか? それとも日本人観光客向けの店なのかもしれない。

 翌日、モールに友人2人と荷物を残して、パスポートを受け取りに領事館へ行った。10時45分に到着したら、まだ誰も並んでいなかった。それもそのはず、受け取りは午後1時からだからである。一番乗りとはいえ、炎天下で2時間以上も待ち、やっとビザのシールが張られたパスポートを受け取った。

 サムロに乗り急いでモールへ行き、3人で向かいのバスターミナルの窓口に行ったが、2時発のウドンタニ行きのバスは満席だった。仕方なく2時半発のノーンカイ行きのチケットを買った。今夜はパタヤへ直行せずに、ウドンタニに泊まる。どうしてかというと、ウドンタニには、ファラン向けのバービア街があると聞いたからだ。これは見過ごす訳には行かない。Fさんもこれには賛同してくれた。個人的にはいつもウドンタニは素通りしているので、一度は泊まってみたかった。

 今夜はウドンタニのバービア街に繰り出して、パーっと遊ぶぞ!!

2009年5月31日日曜日

ラオスの温泉、松茸ツアー その7







 温泉に入ってサッパリしたら、時刻は11時半を回っていた。運転手の提案で昼食はポーンサワンへの帰り道にあるムアンカムで食べることになった。この街は、サムヌアに向かう国道6号線と国道7号線のジャンクションになっている。ガイドブックには、タムピウ洞窟が紹介されているが、洞窟など興味はないから食事だけのために立ち寄った。

 街道沿いの食堂では、いくつかの大なべに惣菜が入っていた。好きなものをご飯に乗せてもらうという、タイの田舎と同じタイプの食堂だった。山盛りのご飯の上に、2種類の惣菜を乗せてもらい、ビールを飲みながら食べた。旅行社の2人も同じテーブルに座り、一緒に食事をした。代金はわれわれが支払ったが、「ご馳走様」のひと言もない。ガイドもせずに、見習いに運転の練習をさせたり親父まで連れて来て、挙句の果てにタダ飯かい。この馬鹿タレが!!! まぁ、これがラオスのレベルだから仕方がない。

 食後はポーンサワンに戻って、街から7キロのところにあるジャール平原を見学した。そこには、巨大な石壺が無数に散らばっていた。何故、この様な石壺を作ったのだろうか? この壺の中から人骨やガラス玉などが発見されたことから、棺おけとして使われていたという説が有力となっている。しかし、酒壺、米壺ではないかという説もあり未だに謎に包まれている。

 平原にはところどころ大きな穴が開いていた。看板には、『BOMB CRATERS』と書かれていた。そう、ラオス内戦下の1964~75年まで、米軍とラオス国軍の連合軍がシュンクワンに7500トンの爆弾を投下した。40年余り経った今でも、このジャール平原にその時の爆弾のあとが生々しく残っている。

 ゲストハウスにも弾丸やバズーカ砲などがオブジェとして飾られていたり、民家の庭では爆弾の殻を柵として使っている所もある。戦争の傷跡を名物に変えてしまうところは、ラオス人ならではの発想ではないだろうか。

 午後3時過ぎにベストハウスに戻り、松茸宅配便を待っていたらスコールが襲って来た。
「この雨じゃ持って来られないかもしれないなぁ」
 4時まで待って、昨日のレストランに電話をしてもらった。しばらくすると、ひとりの男が入って来た。
「ヘットワイ ミーボー? (松茸はある?)」
 と訊ねたら、
「ボーミー(ない)」
 と男は答えた。
 やっぱりまだ早かったか、残念!! 松茸食べ放題は来年の7月だなぁ。

 その晩は、ラオス料理店でラオラーオ(ラオスの米焼酎)を飲みながら晩餐会を開いた。松茸の炭焼き、バター炒め、土瓶蒸しなどは一切なかったが、美味しいスペアリブが唯一の救いだった。

 また来年、きっと来るぞ!!!

2009年5月30日土曜日

ラオスの温泉、松茸ツアー その6







 ツアー4日目、いよいよ今日は温泉へ出掛ける。ラオスにはいくつか温泉が湧いているそうだが、入浴施設が完備されているのは今回訪れる予定のナムホーン・リゾートだけらしい。いつもの秘湯探しとは違って、運転手を雇ってのツアーである。まぁ、詳しい地図もないし、右側通行だし、タイ語も完璧には通じないから仕方がない。

 朝6時に起きてホットシャワーを浴び、7時に集合して朝食を食べに出掛けた。ゲストハウスのすぐ近くにあるお粥屋で朝粥と豆乳を食べた。ラオス語でお粥は『カオ・ピヤック・カオ』というが、この店では看板に日本語で『おかゆ』と書いてあった。日本人客も多く訪れるのだろうか?

 8時半の約束が30分遅れて、9時にミニバスで出発した。運転は昨日交渉をした男で、その他にガイドと思われる年配の男と見習いのような若い男が乗ってきた。最近ではタイでも時間に正確になってきたが、ラオスでは昔のタイと同じく時間にルーズのようだ。時間に正確でなければ、経済の発展はないぞ!!!

 ミニバスは、ゲストハウスの前の国道7号線を東へ向かって走り出した。だんだんと民家もなくなり山の中へ入って行く。途中で車を止めて、若い男と運転を替わった。
「おまえ運転免許を持っているのか?」
 と訊くと、
「テスト テスト」
 と笑いながら答えた。それを聞いた仲間のFさんは、
「ノー ノー ノー」
 と真剣な顔で怒った。
「まぁ、いいじゃないですか」
若い男はノッキングをしながら500メートルほどゆっくりと車を走らせ、運転の練習は終わった。やれやれ。

 温泉までは街から約70キロ、国道7号線をどこまでも真っ直ぐに走り、1時間半ほどで看板が見えた。そこを右に曲がり、5キロで到着した。なーんだ、これなら私でも来ることができる。ゲートでの入場料ひとり2000キープは旅行社が払ってくれた。

 この温泉リゾートには入浴施設、宿泊施設、レストランがある。入浴の前に、まず源泉池を見学することにした。ガイド付きということだったが、旅行社の3人はさっさと入浴施設へ行ってしまい、われわれだけで森の中の源泉を見に行った。

 源泉池はかなり広くて、周りには道が通っていた。中心部でブクブクとお湯が湧いている。池の淵に手を入れてみたら結構熱かった。42、3度はある。ということは、お湯が湧き出ているところの温度は50度くらいあるだろう。池をひと回りして写真を撮り、入浴施設へ向かった。

 入浴施設は個室風呂で、ひと部屋に2つの浴槽がある。入浴料はひとり5000キープで浴室の使用は自由なので、ひとりひと部屋を使うことにした。蛇口をひねると勢いよくお湯が噴出した。これならすぐに浴槽がいっぱいになる。お湯の温度はちょうどいい温度で、水で薄める必要はない。森の中の温泉リゾートで、のんびりとラオスの温泉を味わった。

 われわれが入る前に、運転手たちはすでに入浴を済ませていた。ガイドかと思っていた年配の男は、実は運転手の父親だった。仕事で温泉へ行くので、親父を一緒に連れて来たのである。親父を迎えに行っていたから、出発が遅れたのだろう。親孝行は立派だが、仕事のついでに親孝行するな、バカ!!

2009年5月28日木曜日

ラオスの温泉、松茸ツアー その5







 タイのパタヤからバスと列車を乗り継いで国境の街ノーンカイまで来て、ラオスのビエンチャンに渡り、さらにオンボロ・バスで10時間かけてポーンサワンにやって来た。2晩かけてはるばる旅をしてきた目的は、温泉と松茸である。ところが、市場にあったのは干し松茸だった。まだ時期が早いようで、最盛期は7月とのこと。

 売り場のおばさんに、
「生の松茸はないの?」
 と訊ねると、
「ここにはないけど、電話で探してみる」
 と言ってくれた。

 われわれは松茸を求めて市場の中を探し歩いたが、生の松茸はどこにもなかった。30分ほどして戻ると、おばさんは新聞紙の包みを開いて松茸を見せてくれた。
 
 あっ、あった! これいくら?
「1キロ10万キープ」

 ネットの情報では、1キロ300円~ と書いてあったがそれは最盛期の値段で、まだ出始めの今では数が少ないから1100円もするのだろう。だが、持って来たのはどう見ても1キロもない。重さを計ったら200グラムだった。それを2万キープで買い取り、 市場で鶏肉を炭火で焼いている食堂に松茸を持ち込んで、塩焼きにしてもらった。

 恥ずかしい話だが、松茸に関しては子供の頃にたった一度だけ焼いたものを丸かじりした記憶がある。あとは、松茸ごはんを2、3回食べたくらいで、あまり縁のない食材であった。はるか昔に味わった香りと食感も、すでに忘れかけていた。まさに、40年ぶりの涙の再会である。

 炭火で焼いた松茸を1本取って、匂いを嗅いでみた。日本の物とは少し違うけれど、かすかに昔懐かしい松茸の香りがした。口に入れると、食感は昔食べた物と同じだった。

 あ~ 松茸だ~。美味いなぁ。 ビア・ラオを飲みながら3人で200グラムの松茸を味わった。でも、たった200グラムでは少なすぎる。もっと食べたいよ~。まだどこかにあるはずだ。先ほどのおばさんの店へ行って「もっと探してくれ」と頼んだら、もうひとりのおばさんが電話をしてくれた。

 しばらくして、店に持って来たのは何と冷凍の松茸だった。しかも、1キロ30万キープ。人の足元を見やがって、冷凍物なんか解凍しても焼いて食えないだろう! バカヤロー、こんな物いらないよ!

 別の市場へ行って食堂の店主に訊いたら、ある場所を教えてくれた。ラオス語で書いてあるので分からないが、サムロのおじさんが案内すると言ってくれたので、サムロに乗って向かった。

 そこはレストランで、松茸ウィスキーと干し松茸を作って販売していた。
「生の松茸はありますか?」
 と店主に訊くと、
「今日はないけど、明日ならあるよ」
 と答えた。
「1キロいくら?」
「500バーツ」
「OK、買いましょう」

 これはラッキーである。ゲストハウスの名刺を渡して、明日15時半に届けて貰うことにした。御礼に松茸ウィスキーと干し松茸を買った。

 明日は松茸が腹いっぱい食べられるぞ! 余ったら土瓶蒸しでも作るか!

2009年5月27日水曜日

ラオスの温泉、松茸ツアー その4







 5月19日AM6:30、VIPとは名ばかりのオンボロ&インチキバスはポーンサワンに到着した。狭い座席と騒音で眠ることができず、尻や足など体中が痛く、睡眠不足の状態であった。

 バスターミナルから街へは歩いて行く事はできない。大型の乗り合いサムロに乗って、ナイス・ゲストハウスへ向かった。ポーンサワンの街は国道7号線沿いに広がっている。道路沿いには大小2つの市場があり、レストランや商店、ゲストハウスなどが並んでいた。

 車中で運転手に、
「ヘットワイ(松茸)はどこにある?」
 と訊ねると、
「市場でたくさん売っているよ」
 と答えた。
 やった! 松茸があるぞ! さすが松茸の里、ポーンサワンだ。

 ナイス・ゲストハウスは小さいけれど、比較的新しく綺麗なゲストハウスである。宿泊料金は、ホットシャワー・トイレ付きで1部屋1泊6万キープ。テレビ付きは7万。市場へも近いしこれで充分だ。早速、チェックインをした。

 パタヤを出発してからもう2日間もシャワーを浴びていないので、早くシャワーを浴びてサッパリしたかった。でも、その前に明日の温泉ツアーの手配をしなければならない。部屋に荷物を置いて、旅行社の男と交渉をした。通常の観光コース7ヵ所を1日で回ると、運転手、ガイド、食事、水付きでひとり80ドルと言われた。

「高すぎるよ。我々は温泉とジャール平原サイト1だけでいい。食事も水もいらない」
 そう説明した。本来なら車だけ借りて私が運転をしてもいいのだが、詳しい地図がないので運転手を雇わなければならない。男は40ドルと言ったが、そこを30ドルに値切って交渉は成立した。ドルは持っていないので、キープに換算したら254000キープだった。

 さて、ツアーの手配も終わったしシャワーを浴びてひと眠りするか。そう思ったが、松茸のことが気になって眠れない。2人の仲間も同じだった。そこで、シャワーを浴びてすぐに市場へ出発した。

 市場には様々な物が売られている。日用雑貨、衣類、電化製品、野菜、果物、肉、魚など。中には、生きた大トカゲや子猫ほどの大きさのねずみも売られていた。これらも食べるのだろう。タイのイサーン地方(東北地方)でも、イナゴやタガメ、コオロギなどの昆虫類やヘビ、トカゲも食べる。動物性たんぱく質が不足しているのだろう。それにしても、グロテスクな食材だ。調理されて何の肉だか分からなければ食べると思うが、初めから生きた食材を見てしまうと絶対に食べられないと思う。

「松茸はどこにある?」と訊きながら市場に中を回り、ついに松茸売り場を見つけた。そこのおばさんに、
「松茸ください」
 と言ったら、おばさんが取り出したのは袋に入った干し松茸だった。

 えっ、これが松茸ですか???

2009年5月26日火曜日

ラオスの温泉、松茸ツアー その3







 あまりよく知られていないが、ラオスの通貨はKⅰp(キープ)という。紙幣は100キープから50000キープまであるけれど、100と500はほとんど流通していない。何故ならば、公衆トイレの使用料が1000キープだから、それ以下は何も買えないのである。

 ノーンカイからの国際バスが着くビエンチャンの第1バスターミナルの前に、タラート・サオという市場がある。その一角に2007年にショッピング・モールがオープンした。ラオスでは珍しいエスカレーターや、ラオス初の立体駐車場を備えた3階建てのビルだ。

 1階には両替所が数店あって、その中で一番レートのいい店で円をキープに両替した。1万円が86万キープに化ける。1万キープが約116円、タイの通貨だと約40バーツである。5日間の必要経費としてとりあえず2万円を両替した。172万キープを手にしたら、何だか大金持ちの気分になった。

 モールの3階にはクーポン・レストランがある。そこで昼食を食べながら、夕方まで休むことにした。まず5万キープをクーポンに換えて、ビールを買った。ご当地のBEER LAO の大瓶が1万キープ。小売店で買うと8000キープと安い。

 食事はラオス名物のサンドイッチとフー。フランスパンにレバペーストを塗って、野菜やハム、チーズな どを挟んで食べる。これが美味い! ラオスはベトナム同様フランスの植民地だったから、パンが美味しいのだ。バケットのハーフサイズが7000キープ。

 フーはいわゆるビーフン麺で、タイではクィッティアオと呼ばれているのもだ。野菜をたっぷり入れて、しょう油や酢、チリソースなどで味付けして食べる。これは12000キープ。合計、29000キープ、約336円である。ビールを飲んでボリュームいっぱいのサンドイッチとラーメンを食べてこの値段。なかなかいい所でしょう、ラオス!

 バスの出発まで時間があったので、交代でモールの中を見て歩いた。ここには、中国から流れて来たDVD、VCD映画のコピーがたくさんある。それらは違法にもかかわらず、堂々と店頭に並んでいる。値段は5000~15000キープ。私は懐かしいチャップリンの無声映画『サーカス』と『犬の生活』を買った。2枚で5000キープ(約58円)だった。CDだから安いのだろう。後日、自宅で再生したら無声映画なのにタイ語の音声が入っていた。

 エアコンが効いたレストランで午後5時まで休んでから、サムロに乗って第2バスターミナルへ向かった。そこは、中国やベトナム、世界遺産のルアンパパーンなどへ行く長距離バスのターミナルである。といっても、屋根の下に椅子が並べてあって、売店と食堂が3店あるだけの質素なターミナルだった。

 19時発のVIPバスに乗る予定であったがそのバスはなく、20時に変更になっていた。チケットを買ってビールを飲みながら待っていると、激しいスコールが襲ってきた。トタン屋根に雨音が響き渡り、会話も聞こえないほどだった。ラオスもタイと同じく、雨期になるとスゴイ雨が降るもんだ。

 出発時刻になると雨は小降りになったが、少し蒸し暑くなってきた。バスの中はエアコンがガンガン効いているかと思い、身体に巻く布(インドで買ってきた)を用意したが、エアコンはほとんど効いていない。ここがタイと違うところだ。仕方なく、窓を開けて風を入れた。

 VIPバスと書かれているが、これがとんでもないバスだった。まず、座席が狭くて足を伸ばすことができない。1時間ごとに停車して客を乗せたり、食べ物を買ったりしている。音楽は一晩中流れていてうるさくて眠れない。乗務員の話し声や笑い声もうるさかった。お客のことなどは何も考えていない最低のVIPバスであった。

 こんなバスに乗せられて山を越え、10時間もかけて温泉と松茸の街ポーンサワンにやって来た。

2009年5月25日月曜日

ラオスの温泉、松茸ツアー その2







 バンコク・フォアランポーン駅に午後7時に着くと、8時発ノーンカイ行きの列車はすでに入線していた。われら3人はビールとウィスキー、つまみなどを買ってエアコンが効いたファースト・クラスの車両に乗り込んだ。飛行機ではファーストもビジネスも高くて乗れないけれど、寝台列車なら乗ることができる。ただし、早めに予約をしないと席がなくなってしまう。

 コンパートメントの寝台に座って、出発前から旅の無事を祈って缶ビールで乾杯!!
つまみは買ってきた焼き鳥とカオニャオ(もち米)だ。食堂車から職員が注文を取りにきたので、卵焼きと氷を頼んだ。ビールの次はウィスキーの水割りを飲む。列車は8時を過ぎても発車しない。どうしたの? 結局、30分遅れで出発した。タイだから仕方ないね。

 翌朝8時にノーンカイに到着。ラオス・タナレンへの列車は10時しかない。それまでは待てないので、サムロでボーダーまで行った。メコン川の手前でタイを出国して、そこからバスに乗り川を渡る。友好橋はタイと日本の援助で造られているから、橋はタイと同じ左側通行になっている。橋を渡ってラオスに入ると右側通行に変わる。これも金の力であろう。

 ラオスでは、日本人は15日間ビザなしで滞在することができる。これも援助のお陰である。ビザを申請しているファランを横目に、さっさと入国した。すると、何かの検査があった。検査と言っても、A/H1N1インフルエンザの健康チェックである。書類に書き込むだけでOK、体温を検査することもない。形式だけのチェックである。

 9時45分に入国を済ませて、サムロでタイ領事館へ直行した。30分ほどで領事館に着くと、中はすごい人だった。ビザが無料になったので、観光客だけでなくタイ全土にいる長期滞在者(リタイヤメント・ビザを持っていない人)が集結しているのだろう。マレーシアのペナンへ行くよりも安上がりだし、そんな貧乏旅行者が集まっているのである。まぁ、私もそのひとりだが。

 係りの女性に整理番号のカードを貰い、椅子に座って順番を待った。申請書類はすでに揃っている。友人たちにも炎天下の中、付き合ってもらった。あまりに暑いので、ビールを買って来て飲んだ。やがて、11時30分を回り、本日の整理番号のカード配布が終了した。私の番号は503番。490番になったところで窓口に並んだ。ところが・・・。

 電光掲示板の表示された499番の次は、001番になった。これはおかしいぞ? 003番になってところでカードと書類を窓口に出したら、「これは受け取りのカードだ。また明日8時半に来い」と言われた。なに~、受け取り? よく見ると小さな字でVISA・ COLLECTIONと書いてある。申請はVISA・APPLICAITIONである。
やれやれ、間違ったカードを貰っちゃったようだ。

「間違ったカードを貰いました。何とかしてください」 
 と頼んだが、そこはお役所仕事で、何を言ってもダメ! ダメ! ダメ!

 クソッ、せっかく炎天下で2時間以上も待ったのに、これまでの苦労はすべて水の泡。今日ビエンチャンに泊まって明日申請したら、受け取りはその翌日だからもう1泊しなければならない。予定が狂ってしまう。

2009年5月24日日曜日

ラオスの温泉、松茸ツアー その1

 今年1月、観光ビザを取るためにラオスのビエンチャンへ行って来た。ビエンチャンへ行くのはこれが3回目である。昨年末から陸路でタイへ入った場合は、15日間しか滞在できなくなった。それまでは空路と同じ30日間の滞在が可能で日帰りでカンボジアへ行く長期滞在者が多かったが、急に変更になってしまった。カンボジアとの国境にあるプレアビヒア(世界遺産)の件でカンボジアといざこざになり、陸路の入国を厳しくしたのであろう。

 その代わりかどうか分からないが、ビエンチャンでダブル・ビザが取れるようになった。1月に取得したビザは6月末まで残っていたが、早めに取る事になった。それは、3月5日から6月4日まで、タイ政府が観光ビザをタダにしたからだ。これには訳がある。昨年末の反タクシン派(現在は保守派)の空港占拠事件でタイへの観光客が激減してしまい、困り果てたタイ政府が、苦肉の策で3ヵ月間観光ビザを無料にしたのである。

 5月に友人が遊びに来るので、ビザ取りのついでにラオスの温泉へ行こうかということになった。温泉のことをネットで調べていたら、何と松茸が安く食べられるという情報が入ってきた。しかも、温泉が湧き出ている県にあるという。これ幸い、ラオスの温泉、松茸ツアーを計画した。

 ラオスへ入る時は、いつもパタヤから夜行バスで国境の街ノーンカイへ行き、そこからビエンチャン行きのバスに乗り換えるのだが、今回は贅沢にバンコクからファーストクラスの寝台列車でノーンカイへ行くことになった。今年3月にラオスまで鉄道が開通したが、まだ直行便はなく接続が悪いので、ノーンカイからはサムロとバスにした。

 バンコク・フォアランポーン駅へは、パタヤからバスでエカマイまで行き、そこから電車かタクシーを利用する。3人ならばタクシーの方が安くつく。今回は、アヌサワリ(戦勝記念塔)までの直行ミニバスを使うことにした。

 出発前日、ミニバスの予約に行った。すると、「予約はできない。当日に来てくれ」と言われた。われわれは20時に列車に乗るので、16時発のミニバスに乗らなければならない。1時間前には入線するので、それまでに駅へ行って食料と酒を買出ししなければならないからだ。

「金を払うから、明日16時のバスを予約したい」と言うと、了解してくれた。
 チケットはないので領収書に、出発時間、人数を書いてもらった。これで、安心だ。

 ところが、当日15時30分にオフィスへ行ったらすでに客がバスに乗っていて、われわれの乗る席はなかった。何ということだ! やがて16時になりバスは発車してしまった。会社の社員に、
「われわれは昨日に予約しているんだ。もう一台来るのか?」
 と問い詰めると、16時半に来るという。こんなの当てにはならない。バスは1時間おきに出るから、多分17時になるだろう。そこまでは待てない。
「ふざけるなこの野朗! キャンセルするから金を返せ!」
 と言って金を受け取り、乗り合いのソンテオでバスターミナルへ向かった。まったくいい加減なミニバスである。

 何とか16時40分のバスに乗ることができて、19時過ぎに駅に到着できた。やれやれ。このツアー、最初からトラブルが発生してしまい果たして上手くいくだろうか?

 

2009年5月15日金曜日

パタヤの表と裏の顔

 昨日、釣り船をチャーターして、仲間と釣りに出かけた。この船はかつてよく利用していたが、もう1年以上乗っていない。久々の釣りである。ここ数日天気が悪く、昨日も朝から雷雨が降っていたが、脱落者がひとりでたものの5人で出発した。

 海は穏やかであったが、沖に出ると次第に波が出てきた。すると早くも仲間のひとりが船酔いでダウンした。それほどの波でもないのだが、船には弱いのかもしれない。

 雨の中、9時から15時まで釣りを楽しんだ。最初から最後まで釣っていたのは、私と船長だけだった。釣果は、イトヨリダイとその仲間のプラーデーン(赤い魚の意味)とイカ、島イサキなど。小さい魚はタイ人にプレゼントして、大きい魚とイカだけ持ち帰った。

 自宅のニラン食堂で煮付けとから揚げを作ってもらった。イカの刺身は私が作り、それらを肴に仲間と一杯飲んだ。天気はいまいちであったけど、楽しい一日だった。

 今日のニュースを見たら、パタヤの記事が3つ載っていた。
1.ベルギーの男性、同居のタイ女性に性器を噛み切られる
2.スウェーデン人と英国人をタイで逮捕、少年買春の常習犯か
3.英男性、パタヤでブドウ万引き

 いずれも、男と女、男と男の事件である。性器を噛み切られた男性は、浮気がばれたらしい。少年買春のくそオヤジは15歳以下の少年を強姦した容疑。ブドウ万引き男は、少し可哀そうだ。タイ女に有り金を騙し取られて金がなく、犯行に及んだそうだ。

 これらは、パタヤのイメージダウンである。残念であるが仕方がない。先日も、インド人が昏睡強盗の被害に遭った。自業自得と言えばそれまでだが、明日はわが身かもしれないので、笑ってばかりもいられない。

 まぁ、船をチャーターして釣りを楽しんでいる人もいれば、愛欲のもつれや女に騙されて、ひどい目に遭う人もいる。昏睡強盗や、オカマの盗人、少年強姦なども後を絶たない。これがパタヤの表と裏の顔だ!! みなさん、気をつけてください!!
 
 

2009年5月13日水曜日

多忙な5月

 今月6日、日本から友人が遊びに来た。ニランコンドの7階の部屋に3週間滞在する予定だ。年に数回遊び来ているが、今回は彼のリクエストにより自炊のための道具を揃えた。電子レンジ、オーブントースター、ガスコンロ、鍋、フライパン、炊飯器、それからDVDプレーヤーも設置した。これなら長期滞在しても自炊には困らないし、DVDの映画やTV番組のたくさんあるから退屈もしない。

 友人が来てから、毎日多忙な日々を送っている。6日は私の部屋でささやかながら歓迎パーティーをした。翌日は、ニラン食堂で夕食会。9日は私が会員になっているTONYSのフードコートのオープンパーティーに参加した。ビールも食べ物もタダだったが、1時間ほどで品切れになり、その後はウォーキング・ストリートに繰り出した。

 昨日12日は、自宅にて飲み会。そして、明日は日帰りの釣りに出かける。すでに仕掛けに餌、竿、リールを揃えて準備完了だ。今朝は雨が降ったけど、明日は晴れるかな? 大漁ならば、またニラン食堂で料理をしてもらって宴会だ!

 17日からは、列車でラオス・ビエンチャンへ行く。今回の目的は、温泉と松茸。松茸がキロ数百円で食べられるそうだ。詳しいことは、戻ってから報告します。

2009年4月29日水曜日

パタヤビーチが大変身 その2


 先日、4月24~25日にパタヤビーチのパラソルとデッキチェアーが撤去された事件の真相が分かった。政府と地元観光業界主催による海中エアロビクス大会が開かれたのだそうだ。そのために、ビーチにある障害物を一時的に撤去して清掃をしたのだ。

大会当日の25日はビーチロードが北から中央まで通行止めになり、ビーチへ抜けるソイも遮断された。そのため、セカンドロードやセントラルロード、サードロードまで渋滞が広がった。

 海中エアロビクス大会では2047人が参加して、最も大規模な海中エアロビクス大会として、ギネス世界記録に認定されたそうだ。これは、単なる話題づくりのためのイベントじゃないの? パタヤ市は財源が豊かだから、簡単にこんなことができちゃうんだよね。

 でも、こんな記録はすぐに破られちゃうよ。だって、ビーチにエアロビの格好をした人を集めて、足だけ海水に浸かってエアロビをすればいいだけの話だもん。人が集まるワイキキビーチとか九十九里海岸で、参加者に記念品を配ると言えばいくらでも人は集まるよ。

 まぁ、パタヤが有名になるのは嬉しいことだけれど、あまり騒がしくしないで欲しいものだ。

2009年4月25日土曜日







 タイの旧正月・ソンクランは通常4月13日~15日だが、パタヤでは毎年18、19日に盛大に水掛けが行われる。その間の16~17日はどうかといいと、バービアの前などでは馬鹿ファランや子供たちが水掛けをしている。要するに、13~19日まで水掛けは続くのである。

 私は今年も不戦勝で、メインの19日は部屋から一歩も外へ出なかった。もう何度も参戦しているから珍しくもないし、疲れるだけなので、エアコンの効いた部屋で朝からビールを飲んで映画を見ていた。

 水掛けも終わり静かになったパタヤでは、24日、ビーチからパラソルとデッキチェアーが突然姿を消した。どうしたんだろう? ビーチロードでは、車、バイクは駐車禁止になり、何か作業をしている。ボランティアの人たちが一斉に清掃をしているようだ。何かイベントがあるのだろうか? この時期には何もないはずだが。

 それにしても、デッキチェアーとパラソルがないと広々としていい雰囲気のビーチになるものだ。これからは、ずっとこのままにしておいた方がいいんじゃない!!

2009年4月18日土曜日

タイの政争 泥沼化

 タクシン派による国王側近包囲デモ、APEC会議の中止など一連の抗議行動は14日に集結をしたが、今度は泥沼の戦いが始まった。タクシン派によるタイ国王枢密顧問官暗殺未遂事件の報復としてなのか、チャオプラヤ川にタクシン派の2遺体が上がった。

 すると今度は、反タクシン派の大御所・ソンティ氏が狙撃されて九死に一生を得た。いずれの事件も、陰でプロの殺し屋が暗躍しているに違いない。日当500バーツのデモで効果がなければ、手っ取り早い殺し屋を使うしか手がないのか。タイも恐ろしい国になったものだ。

 騒ぎの張本人・タクシン氏はタイ政府からパスポートを破棄された。もう、タイ人として海外へ行けないことになる。要するに、タイ国から見放された棄民である。AFP通信によると、ニカラグアの旅券で動いているらしい。ニカラグアは、中米の人口560万人の小さな国である。タイ王政を廃止して、タイ全土を乗っ取り、タイを支配しようとしている男にしては、何とも情けない話である。

 この騒ぎはまだまだ続くであろう。そのうちに軍隊とデモ隊が衝突して、流血事件になるかもしれない。そうなれば、タイの国際的信用は失墜し観光客が激減して、タイ経済にも大きな打撃を与えることになる。早く、国王の鶴の一声を!

 一方、パタヤでは今日から本格的な水掛け戦争が始まった。今年はどんな装備で参戦するか、まだ迷っている。あー、パタヤは平和だなぁ!!

2009年4月14日火曜日

非常事態宣言 発令

4月10日~12日にタイ・パタヤで開催される予定であったASEAN会議をタクシン派の赤シャツ軍団が中止に追い込んだことを受けて、4月12日、バンコク全域、サムットプラガーン県、パトゥムターニー県、ノンタブリー県、ナコンパトム県及びアユタヤ県の一部に非常事態宣言が発令された。

 非常事態宣言の関連勅令の規定では、同地域にて「5人以上の集会の禁止」「報道の検閲」「交通の規制」「指定場所への立ち入り禁止」等が行われることになっている。パタヤのロイヤルクリフ・ホテルに引き続き、能無し赤シャツ軍団がバンコク周辺で大暴れをしている。

 一体何が彼らを駆り立てるのか? 現政治体制への不満か? 30バーツ医療を行ったタクシンへの忠誠心か? 国家権力への挑戦か???

 いや、違う。彼らは単に金欲しさに動いているだけだ。今はちょうどソンクランだから、水掛け祭りのノリで暴れているのだろう。貧しい農家で生まれ、小学校4、5年生で世に出て働いてきた人たちだ。ソンクランは水しか飛んでこないが、軍隊を相手にしたら水ではなく実弾が飛んでくるぞ! 僅かな日当と命を引き換えにするのか?

 イサーン出身の友人の女房に地元の警官から「日当300バーツでデモに参加しないか?」という電話があった。彼女は「500バーツならいいよ」と答えたらしい。

 情報通によると、タクシン派の日当は500バーツらしい。ということは、仲介者の警官が200バーツをピンハネしているのだ。10人集めれば2000バーツになる。いい商売だ。やはり守銭奴の大悪党に群がってくる奴等は、金目当ての小悪党である。これが、赤シャツ軍団・タクシン派の実態である。

 それにしても、よく金が続くものだ。1日500バーツで1万人を動員すれば500万バーツの出費だ。それに加えて、赤シャツ代、弁当代もかかるだろう。10日~14日の5日間で、日当だけで2500万バーツ以上かかっていることになる。その他に、タクシン派幹部への給料、枢密顧問官の暗殺費用(150万バーツ)、軍人、警官、政治家の買収費用などなど。まるで、アメリカ禁酒法時代のシカゴのボス、アル・カポネのようである。

 この政争は、いつになったら集結するのだろうか? タクシンだって無限に金があるわけではない。その大部分はタイ政府に押さえられているし、収入もない。現在はお尋ね者の逃亡生活で、いろいろと金もかかるだろう。

 タクシンの財産が底をつくか、国王の鶴の一声が出れば、この政争は集結するだろう。

2009年4月9日木曜日

もう最後は近い


昨日のタイ発ニュース速報に続いて、今日もタクシン関連の報道が3つあった。
① タイ国王顧問暗殺容疑、陸軍大尉ら4人逮捕
② タクシン派、国王側近宅を包囲
③ 保守派VSタクシン派、出口見えないタイ政争

 金の力に任せて、殺し屋を雇い暗殺を企てる。弁当と日当欲しさに集まった「タクシン派」を使ってデモをしたりプレム枢密院議長宅を包囲する。数万人規模のデモになると、弁当代、日当も大変だろう。集会が終われば演歌歌手が来てコンサートですか。果たして、金の力でタイ国を乗っとることができるだろうか?

 ニュースには、逮捕された陸軍大尉は上官から150万バーツでチャーンチャイ氏の殺害とバンコク都内の銀行への放火を請け負い、別の3人に60万バーツで仕事を依頼したと書かれている。この陸軍大尉を尋問すれば、金の出所が判る。そうなれば、芋ずる式にタクシン派の軍人を逮捕できるだろう。もう、時間の問題だ。

 この事実を受けて、タクシンの子供3人と義弟のソムチャーイ前首相らはタイを出国した模様だ。近いうちに、タクシン派による爆弾テロが起きて、軍隊が出動して血の雨が降り、政争は終結するのではないだろうか?

 いずれにしても、もうタクシンの最後は近いだろう! だって、タクシンはスーパーマンではありませんから!!
 

2009年4月8日水曜日

タクシン氏 人気絶好調!

 本日4月8日のタイ発ニュース速報では、タイの元首相タクシン氏関連のニュースが6件も掲載された。犯罪者で国際指名手配されているのに、人気が高まっているのかと思ってよく読んだら、そうではないらしい。

①タイ国王顧問の暗殺容疑、3人逮捕
  チャーチャン枢密顧問官の殺害を企てた容疑でタイ人の男3人を逮捕した。ニュースにはタクシンの名前はないけど、タクシンの差し金に違いない。

②タクシン派、首相車のガラス割る
  アピシット首相は無事だったが、運転手が軽いケガをした。こんな幼稚なことをしても、タクシン派が政権をとることなどできないよ。

③タクシン派、8日に大規模集会
  また国際電話で演説ですか? 勝手にやれよ、赤組さん

④タイ国王顧問「タクシン氏は王政廃止狙う」
  これは、ピジット顧問官の主張であるが、タクシンが王室に喧嘩を売っていることは間違いない。タイで王室に逆らえばどうなるか、判らないほど馬鹿なのか?

⑤タイ外相、各国大使にタクシン氏受け入れ拒否を要請
  犯罪者だから当然だが、金欲しさに受け入れる国が多いんだよな。「諸外国のみなさん、玄関先で追い返してください」

⑥退役軍人ら、タクシン氏逮捕に賞金100万バーツ
  生け捕りにしてタイに連れて来れば100万バーツもらえる。褒賞金は実業家が出すらしい。ついに『WANTED』だ! お尋ね者のタクシンを早く捕まえてください。

 以上、私見いっぱいのニュースでした。

2009年4月2日木曜日

日本は寒いよ その2

 今日は風が強く、夜はめちゃ寒かった。夜に出かけたんだけど、あまりに寒いのでダウンジャケットを着てしまった。まるで、真冬と同じだ。これじゃ、咲き始めた桜も散っちゃうよ!! そうそう、桜の写真を撮らないと。タイ人たちに見せてあげるんだ。本当は、桜の木下に芸者がいれば最高なんだけど、それは無理だね。

 焼酎はお湯割りで飲んでいます。昨晩の食卓は、鶏つくね鍋でした。寝る時には靴下を履いています。いつの間にか、すっかり南国育ちになってしまった。早くパタヤへ帰りたいよ! そろそろ花粉症が出そうだし。

 タイに戻れば旧正月のソンクランだ。通常は13~15日だけど、パタヤは何故か18、19日になっている。昨年は参加しなかったので、今年は水掛祭りに参加しようかな。参加するには覚悟がいるぞ。水中眼鏡に水鉄砲、水着で出かけなければならない。水をかけられる前にかける。例え相手が女・子供でも、決して手を抜いてはならない。やるかやられるかだ。そう、水掛祭りとは名ばかりで、実弾を水に変えたゲリラ戦なのである。

 寒いので、お湯割りを飲んで寝ます。

2009年4月1日水曜日

日本は寒いよ

昨日、帰国しました。成田空港に着いたのは午後8時を回っていた。長袖シャツとジャージしか着ていなかったけれど、それほど寒いとは思わなかった。ところが、自宅に帰って一息したら寒くなってきた。多分、緊張をしていたのか、それとも荷物を持っていたためだろうか?

 夜は、布団と毛布をかけても寒かった。パタヤではエアコンを26度に設定して、タイマーをかけて寝るのだが、タイマーが切れると暑さで目が覚める。ずいぶん差がある。トイレも近い、冷えるからだろう。

 今日、外科医に左肩を診てもらった。昨年、インド旅行で痛めた古傷である。もう3ヵ月も薬を飲んでいるのに治らないので、炎症止めと痛み止めの注射を打ってもらった。関節の注射は時間がかかり、ちょっと痛い。まぁ、痛いといっても、『死刑宣告』をされるよりましかと思って我慢した。

 明日は天気になりそうなので、買い物と用事を済ませて図書館へ行く。原稿を書かなければならない。何とか、ソンクランまでには帰れそうかな!

2009年3月30日月曜日

一時帰国







昨年12月24日にパタヤに戻り、3ヵ月と1週間パタヤで過ごした。その期間に、南部の温泉ツアーに出掛けた。すばらしい温泉に入り、クラビのビーチで楽しい時を過ごした。その後は、ラオス・ビエンチャンへビザを取りに行った。

 1月23日にはセントラル・フェスティバル・パタヤビーチがオープンした。フジ・レストランやZEN、8番ラーメンはもちろん、シャブシ、スキシ、ペッパーランチ、ヤヨイ軒など、和食の店が軒を連ねて和食戦争状態になった。

 3月20~22日はミュージック・フェスティバルが開催された。ゴルフ&マイクを見ることができたし、いつも朝食を食べているKOOL・HOUSEの夜勤の女性とも仲良くなった。日本からの友人も多くやって来て、充実した3ヵ月であった。

 ただ、本業の執筆の方があまり進んでいない。インドの話は、まだ50枚(400字原稿用紙)しか書きあがっていない。これでは、夏までに発行できるかどうか? 東京に滞在中も書き続けないといけない。

 4月はソンクラン休みが入るので、5月分の原稿(NOISE、バンコク・シティ・ファインダー)も今日送った。これで、インドの原稿執筆に集中できるぞ! 日本で美味しいものを食べて、またパタヤに戻って来ます。連休にもお客さんが来るので。