2009年5月31日日曜日

ラオスの温泉、松茸ツアー その7







 温泉に入ってサッパリしたら、時刻は11時半を回っていた。運転手の提案で昼食はポーンサワンへの帰り道にあるムアンカムで食べることになった。この街は、サムヌアに向かう国道6号線と国道7号線のジャンクションになっている。ガイドブックには、タムピウ洞窟が紹介されているが、洞窟など興味はないから食事だけのために立ち寄った。

 街道沿いの食堂では、いくつかの大なべに惣菜が入っていた。好きなものをご飯に乗せてもらうという、タイの田舎と同じタイプの食堂だった。山盛りのご飯の上に、2種類の惣菜を乗せてもらい、ビールを飲みながら食べた。旅行社の2人も同じテーブルに座り、一緒に食事をした。代金はわれわれが支払ったが、「ご馳走様」のひと言もない。ガイドもせずに、見習いに運転の練習をさせたり親父まで連れて来て、挙句の果てにタダ飯かい。この馬鹿タレが!!! まぁ、これがラオスのレベルだから仕方がない。

 食後はポーンサワンに戻って、街から7キロのところにあるジャール平原を見学した。そこには、巨大な石壺が無数に散らばっていた。何故、この様な石壺を作ったのだろうか? この壺の中から人骨やガラス玉などが発見されたことから、棺おけとして使われていたという説が有力となっている。しかし、酒壺、米壺ではないかという説もあり未だに謎に包まれている。

 平原にはところどころ大きな穴が開いていた。看板には、『BOMB CRATERS』と書かれていた。そう、ラオス内戦下の1964~75年まで、米軍とラオス国軍の連合軍がシュンクワンに7500トンの爆弾を投下した。40年余り経った今でも、このジャール平原にその時の爆弾のあとが生々しく残っている。

 ゲストハウスにも弾丸やバズーカ砲などがオブジェとして飾られていたり、民家の庭では爆弾の殻を柵として使っている所もある。戦争の傷跡を名物に変えてしまうところは、ラオス人ならではの発想ではないだろうか。

 午後3時過ぎにベストハウスに戻り、松茸宅配便を待っていたらスコールが襲って来た。
「この雨じゃ持って来られないかもしれないなぁ」
 4時まで待って、昨日のレストランに電話をしてもらった。しばらくすると、ひとりの男が入って来た。
「ヘットワイ ミーボー? (松茸はある?)」
 と訊ねたら、
「ボーミー(ない)」
 と男は答えた。
 やっぱりまだ早かったか、残念!! 松茸食べ放題は来年の7月だなぁ。

 その晩は、ラオス料理店でラオラーオ(ラオスの米焼酎)を飲みながら晩餐会を開いた。松茸の炭焼き、バター炒め、土瓶蒸しなどは一切なかったが、美味しいスペアリブが唯一の救いだった。

 また来年、きっと来るぞ!!!

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