それは、パタヤで知り合いになったKさんの部屋で焼肉を食べていた時のことである。
「キムチは、本当は日本人が考えた漬物なんです。知っていましたか?」
そうKさんに話すと、
「それは違うよ。キムチは朝鮮で作られたから朝鮮漬と言うんだろう」
とKさん。
「確か、唐辛子が日本に伝わって日本人が漬物に唐辛子を入れたのが始まりだ、という話をテレビで聞いたような気がする」
「そんなことはない!」
二人とも酔っていたので、話は押し問答であった。
「日本に帰ったら調べてみます」
そこでその話はお開きになった。
パタヤに戻る直前になって、キムチのことを思い出した。まぁ、どうでもいいことだが、酔った勢いでいい加減なことを言ったと思われても癪なので調べてみた。ネットで検索したら、面白い見解が出てきた。
「英国学者、キムチの起源は日本の九州」というコラムである。英国人の東洋史学者ホールデン教授によると、キムチに不可欠の唐辛子は15世紀にポルトガルから南蛮貿易で日本の長崎にもたらされたらしい。その後、九州で栽培に成功し薬剤として普及していく。九州の漁師達の間で、唐辛子と白菜とを漬け込んだ食品が保存食・滋養食として元祖キムチが作られたらしい。
16世紀後期になり、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に日本水軍の九州兵が携行して、その後朝鮮民衆に広まりその保存性、滋養が注目されて戦闘食として朝鮮軍にも食されるようになったとのこと。
どうだいKさん、嘘じゃなかっただろう! でも、この学者だけの意見では信用できないので他を調べてみた。すると・・・。
キムチの歴史から
・ キムチは朝鮮の漬物です。高麗時代に漬物は漬(ジ)と呼ばれていた。キムチの最初は沈漬(チムジ)と言い、その後沈菜(チムチュ)になりこれがなまってキムチになったらしい。当初は、日本の白菜漬けと一緒で塩漬けだった。ところが、文禄・慶長の役(1592~1596年)の際に、日本軍が寒さを耐え忍ぶために軍靴の中に入れて持ち込んだと言われる唐辛子が栽培されて、これを沈菜(チムチュ)の調味料として使うようになってから現在のキムチの原型が生まれたとされています。
唐辛子の原産地はブラジルのアマゾン川流域ですが、ここからヨーロッパに伝藩され、ポルトガルから日本に1542年に伝わりました。それが韓国に伝えられたことは、唐辛子のことを倭椒(ウエチョ)あるいは倭芥子(ウエジャ)、すなわち倭―日本の芥子(からし)と呼んだことでもわかります。 このように書かれている。
これらの所見から、ポルトガルから日本に伝わった唐辛子が韓国に広まっていったことは明らかである。問題は漬物の調味料として伝わったのか、ホカロンのように保温剤として伝わったのかは定かではない。でも、これは私見であるが、軍人の靴の中に入っていたものを果たして食材として使うだろうか? そう考えると、やはり韓国で作られる前に日本で漬物に入れられていたと考えるのが妥当であろう。
そうだ、キムチのルーツは日本なのだ!!
ちなみに、焼肉は在日朝鮮人が日本で考えたものである。さらに、タン塩焼きは焼肉叙々宛が考えたらしい。
0 件のコメント:
コメントを投稿