2009年6月12日金曜日

パタヤが危ない


 WHOのマーガレット・チャン事務局長は11日夕(日本時間の12日未明)、新型インフルエンザの警戒度を現行の「フェーズ5」から、世界的流行(バンデミック)を意味する「6」へ引き上げると発表した。

 どうなるの、H1N1型インフルエンザ! これから冬を迎える南半球のオーストラリアで感染が1200人以上急拡大している。タイは常夏だから大丈夫だと思っていたら、ついにパタヤからも感染者が出てしまった。

 パタヤを団体旅行で訪れた台湾人2人が感染して、彼らが訪れた飲食店などの従業員の検診を行ったところ、21人の感染が確認された。こりゃ、大変だ!!! これからは、ホテル、病院、観光客が訪れるレストランなどには行かないようにしなければならない。もちろん、ファランが多いバービアやゴーゴーバーへも行かない方がいいだろう。

 ただ、私の場合は毎晩自宅でアルコール消毒をしているから大丈夫。でも、38度以上の熱が出たらタミフルちょうだ~い!!!

 

2009年6月8日月曜日

パパ、帰って来て~

 「タイで、日本人男性とタイ人女性との間に生まれた子供が、日本に帰国して消息不明の父親を捜すケースが急増し、社会現象化している」というニュースが入ってきた。

 5月中旬、タイ中部のピチット県で母親を亡くし、父親を捜すケイゴ君の話題が、地元メディアで連日報道され、世論の同情を集めたのが始まりらしい。在タイ日本大使館によると、同種の捜索依頼はこの半月で1件から22件に増加したようである。

 一夜の過ちを犯してしまった皆さん、お心当たりの皆さん、早く親子の名乗りを上げてください。息子、娘と涙の再会を心から望んでおります。でも、青い目をした金髪の子供に「おとうさん」なんて言われても困りますよね、 何ちゃって!!!

2009年6月7日日曜日

新しい釣り仲間







 先日、ランパーンの友人から突然電話があった。彼はかつて1年ほどパタヤに暮らしていたことがある。現在は、チェンマイのとなりのランパーンで奥さんと田舎暮らしをしている。チェンマイの日本人会で知り合った釣り好きの方がいて、大物釣りをしたいらしいとのこと。

 昨年の1月以来、大物釣りには出掛けていない。釣りとは関係はないが仲間が殺人事件を起こしてしまい、また、わがままで非常識な人間が増えたため計画を断念していた。今年4月でパタヤ生活6年目を迎えて、心機一転、新しい組織を作ろうとしていた矢先のことだった。

 バンサレー港からの大物釣りは、最低でも8名の参加がないと費用が高くつく。チェンマイの釣り仲間は現在4名で、パタヤでは私を含めて2、3名しかいない。というか、誘うことができる仲間は2、3名ということだ。まぁ、6人でも仕方がないか。

 大体の予算と1泊2日の釣行計画を立てて、チェンマイの釣り好きの方にメールを送った。ついでに、昔釣った魚の写真を参考までに添付した。そうしたら、電話がきた。
「こんな大きな魚が釣れるんですか? 私たちは20センチくらいの魚しか釣ったことがありません」
「まぁ、これはあくまでも参考にして下さい」
 と話したが、彼らは写真を見て夢中になってしまった。参加者も増えるらしい。

 こうなると、私もがんばらなければならない。何としても、大物を釣らせてあげたい。人数が確定したら釣り船の予約をして、宿の手配、釣竿と仕掛の準備をしなければならない。また新しい仲間と大物釣りができる。皆さん、楽しみにしていて下さい。

2009年6月3日水曜日

ラオスの温泉、松茸ツアー その9







 ウドンタニ市内に、長距離バスが停まるセントラル・バスステーションがある。その向かい側に40年以上営業している老舗のゲストハウスがあった。エアコンルームが1泊340バーツと安く、そこにチェックインした。フロントの女将さんからバービア街、食事処の情報を得て、7時に出掛けた。

 セントラル・デパートがあるショッピング・コンプレックスの手前の信号を右折すると、市場が3つあった。そこの屋台村で、魚のフライや海老のアスパラ炒めなどを注文して夕食を取った。食後は、バービア街へ繰り出した。

 ソイ・ファランという通りを入って行くと、『Udon Day&Night』という看板があった。その奥はアーケードになっていて、両側にバービアが20軒ほど並んでいた。中に入ってひと回りしたが、女の子も少なく、客もまばらだった。昨年末の空港占拠事件や、今年4月のASEAN会議中止事件などで観光客が減ってしまったのかもしれない。

 あるバービアの前で、日本人から声をかけられた。その男は、友人の店の手伝いをしていると言っていた。女の子も大勢いたので、その店に腰を下ろした。ビールを頼んで、となりに座った女の子と話をした。気になるお値段の話では、Sが1000バーツ、Lが3000バーツだった。これは高い! やる気満々のFさんだったが、相場がパタヤよりも高いので諦めた。やっぱり、パタヤが一番いいなぁ!!

 その晩は、もう1軒バービアに立ち寄ってゲストハウスに戻った。みんな旅の疲れも出ていたので、部屋でウィスキーを飲んで11時に解散した。

 翌朝、8時半のバスに乗ってパタヤに向かった。所要時間は11時間くらいだから、夜7時半には着くだろうと思っていたら、またしても途中でアクシデント。バスがガソリンスタンドで給油して道路に出ようとしたらエンジンが止まってしまった。何やら、ギアーが2ヵ所に入ってしまって動かなくなったようだ。

 エンジニアを呼んで修理をして、1時間40分後に出発した。パタヤに着いたのは夜の9時だった。やれやれ、最後までトラブルに見舞われた旅だった。お疲れ様!!

2009年6月1日月曜日

ラオスの温泉、松茸ツアー その8







 ポーンサワンでの2日間は、あっという間に過ぎてしまった。松茸三昧の夢は叶わなかったけれど、松茸に関する充分な情報を得ることができた。温泉もジャール平原も楽しい思い出となった。次回は、ここからベトナム・ハノイへ行ってみようと考えている。

 夜行バスでビエンチャンに戻り、早朝に定宿のゲストハウスにチェックインした。2人の仲間は昼まで休んだが、私は眠る暇もなくシャワーを浴びてビザ申請に出掛けた。50分前に領事館へ行ったらすでに長蛇の列、番号は214番だった。

 申請を済ませてゲストハウスに戻り、3人で餃子専門店へ出掛けた。遼寧餃子館は餃子だけではなく、本格的な中国料理の店だった。ビールを飲んで水餃子、焼き餃子、麻婆豆腐などを腹いっぱい食べて111000キープ(約1300円)。味もしっかりしていて、値段も安くていいねぇ。

 食後は市内観光をした。まずは、ラオスのシンボル・タートルアンを見に行った。なだらかな丘の上に建つ高さ45メートルの黄金の塔。タイの仏塔とは少し違った形をしている。日陰がないので暑い、暑い! 炎天下でFさんがダウン寸前だった。

 次は、パリの凱旋門をモデルにしたパトゥーサイ(戦没者慰霊塔)。みんな暑さでバテ気味なので、記念写真を撮ってサムロでゲストハウスに戻った。エアコンが効いた部屋で夜まで休憩。

 夕食は、飲茶とラオス風生春巻きのはしごをした。食後は、メコン川沿いの屋台レストランを冷やかした。川沿いをブラブラ歩いていると、日本語で声をかけられた。日本人が経営しているレストランのようだ。ビエンチャン在住の日本人が多いのだろうか? それとも日本人観光客向けの店なのかもしれない。

 翌日、モールに友人2人と荷物を残して、パスポートを受け取りに領事館へ行った。10時45分に到着したら、まだ誰も並んでいなかった。それもそのはず、受け取りは午後1時からだからである。一番乗りとはいえ、炎天下で2時間以上も待ち、やっとビザのシールが張られたパスポートを受け取った。

 サムロに乗り急いでモールへ行き、3人で向かいのバスターミナルの窓口に行ったが、2時発のウドンタニ行きのバスは満席だった。仕方なく2時半発のノーンカイ行きのチケットを買った。今夜はパタヤへ直行せずに、ウドンタニに泊まる。どうしてかというと、ウドンタニには、ファラン向けのバービア街があると聞いたからだ。これは見過ごす訳には行かない。Fさんもこれには賛同してくれた。個人的にはいつもウドンタニは素通りしているので、一度は泊まってみたかった。

 今夜はウドンタニのバービア街に繰り出して、パーっと遊ぶぞ!!

2009年5月31日日曜日

ラオスの温泉、松茸ツアー その7







 温泉に入ってサッパリしたら、時刻は11時半を回っていた。運転手の提案で昼食はポーンサワンへの帰り道にあるムアンカムで食べることになった。この街は、サムヌアに向かう国道6号線と国道7号線のジャンクションになっている。ガイドブックには、タムピウ洞窟が紹介されているが、洞窟など興味はないから食事だけのために立ち寄った。

 街道沿いの食堂では、いくつかの大なべに惣菜が入っていた。好きなものをご飯に乗せてもらうという、タイの田舎と同じタイプの食堂だった。山盛りのご飯の上に、2種類の惣菜を乗せてもらい、ビールを飲みながら食べた。旅行社の2人も同じテーブルに座り、一緒に食事をした。代金はわれわれが支払ったが、「ご馳走様」のひと言もない。ガイドもせずに、見習いに運転の練習をさせたり親父まで連れて来て、挙句の果てにタダ飯かい。この馬鹿タレが!!! まぁ、これがラオスのレベルだから仕方がない。

 食後はポーンサワンに戻って、街から7キロのところにあるジャール平原を見学した。そこには、巨大な石壺が無数に散らばっていた。何故、この様な石壺を作ったのだろうか? この壺の中から人骨やガラス玉などが発見されたことから、棺おけとして使われていたという説が有力となっている。しかし、酒壺、米壺ではないかという説もあり未だに謎に包まれている。

 平原にはところどころ大きな穴が開いていた。看板には、『BOMB CRATERS』と書かれていた。そう、ラオス内戦下の1964~75年まで、米軍とラオス国軍の連合軍がシュンクワンに7500トンの爆弾を投下した。40年余り経った今でも、このジャール平原にその時の爆弾のあとが生々しく残っている。

 ゲストハウスにも弾丸やバズーカ砲などがオブジェとして飾られていたり、民家の庭では爆弾の殻を柵として使っている所もある。戦争の傷跡を名物に変えてしまうところは、ラオス人ならではの発想ではないだろうか。

 午後3時過ぎにベストハウスに戻り、松茸宅配便を待っていたらスコールが襲って来た。
「この雨じゃ持って来られないかもしれないなぁ」
 4時まで待って、昨日のレストランに電話をしてもらった。しばらくすると、ひとりの男が入って来た。
「ヘットワイ ミーボー? (松茸はある?)」
 と訊ねたら、
「ボーミー(ない)」
 と男は答えた。
 やっぱりまだ早かったか、残念!! 松茸食べ放題は来年の7月だなぁ。

 その晩は、ラオス料理店でラオラーオ(ラオスの米焼酎)を飲みながら晩餐会を開いた。松茸の炭焼き、バター炒め、土瓶蒸しなどは一切なかったが、美味しいスペアリブが唯一の救いだった。

 また来年、きっと来るぞ!!!

2009年5月30日土曜日

ラオスの温泉、松茸ツアー その6







 ツアー4日目、いよいよ今日は温泉へ出掛ける。ラオスにはいくつか温泉が湧いているそうだが、入浴施設が完備されているのは今回訪れる予定のナムホーン・リゾートだけらしい。いつもの秘湯探しとは違って、運転手を雇ってのツアーである。まぁ、詳しい地図もないし、右側通行だし、タイ語も完璧には通じないから仕方がない。

 朝6時に起きてホットシャワーを浴び、7時に集合して朝食を食べに出掛けた。ゲストハウスのすぐ近くにあるお粥屋で朝粥と豆乳を食べた。ラオス語でお粥は『カオ・ピヤック・カオ』というが、この店では看板に日本語で『おかゆ』と書いてあった。日本人客も多く訪れるのだろうか?

 8時半の約束が30分遅れて、9時にミニバスで出発した。運転は昨日交渉をした男で、その他にガイドと思われる年配の男と見習いのような若い男が乗ってきた。最近ではタイでも時間に正確になってきたが、ラオスでは昔のタイと同じく時間にルーズのようだ。時間に正確でなければ、経済の発展はないぞ!!!

 ミニバスは、ゲストハウスの前の国道7号線を東へ向かって走り出した。だんだんと民家もなくなり山の中へ入って行く。途中で車を止めて、若い男と運転を替わった。
「おまえ運転免許を持っているのか?」
 と訊くと、
「テスト テスト」
 と笑いながら答えた。それを聞いた仲間のFさんは、
「ノー ノー ノー」
 と真剣な顔で怒った。
「まぁ、いいじゃないですか」
若い男はノッキングをしながら500メートルほどゆっくりと車を走らせ、運転の練習は終わった。やれやれ。

 温泉までは街から約70キロ、国道7号線をどこまでも真っ直ぐに走り、1時間半ほどで看板が見えた。そこを右に曲がり、5キロで到着した。なーんだ、これなら私でも来ることができる。ゲートでの入場料ひとり2000キープは旅行社が払ってくれた。

 この温泉リゾートには入浴施設、宿泊施設、レストランがある。入浴の前に、まず源泉池を見学することにした。ガイド付きということだったが、旅行社の3人はさっさと入浴施設へ行ってしまい、われわれだけで森の中の源泉を見に行った。

 源泉池はかなり広くて、周りには道が通っていた。中心部でブクブクとお湯が湧いている。池の淵に手を入れてみたら結構熱かった。42、3度はある。ということは、お湯が湧き出ているところの温度は50度くらいあるだろう。池をひと回りして写真を撮り、入浴施設へ向かった。

 入浴施設は個室風呂で、ひと部屋に2つの浴槽がある。入浴料はひとり5000キープで浴室の使用は自由なので、ひとりひと部屋を使うことにした。蛇口をひねると勢いよくお湯が噴出した。これならすぐに浴槽がいっぱいになる。お湯の温度はちょうどいい温度で、水で薄める必要はない。森の中の温泉リゾートで、のんびりとラオスの温泉を味わった。

 われわれが入る前に、運転手たちはすでに入浴を済ませていた。ガイドかと思っていた年配の男は、実は運転手の父親だった。仕事で温泉へ行くので、親父を一緒に連れて来たのである。親父を迎えに行っていたから、出発が遅れたのだろう。親孝行は立派だが、仕事のついでに親孝行するな、バカ!!