早いもので、パタヤに暮らし始めてから5年が過ぎた。この5年間で、日本では体験できないことをたくさん体験できた。ひとつは、目の前で遺体を3体も見たことである。飛び降り自殺、薬(バイアグラの飲みすぎによる)の中毒死、そして、組織の殺し屋に頭を銃弾で打たれた男。日本ならば、一般人が事故現場に入って写真を撮ることなどできないが、タイではOKである。
警察の拘置所、イミグレーションの拘置所、刑務所での面会も日本では経験がなかった。そして今回、ついに裁判の傍聴人になった。それも、釣り仲間が起こしたとされる凶悪な強盗殺人事件の裁判である。初めは緊張したが、よく考えたら裁かれるのは自分ではないので気楽に聞くことができた。
昨日(3月3日)は、午前8時半に裁判所に着いて、開廷までに2時間も待たされたので、今日は9時40分に小法廷に入った。すると、もうすでに関係者が揃っていた。釣り仲間のA氏、M氏、タイ人女性2名、警官1人が証人として座っていた。裁判長も検事も被告人もいるのだが、被告の弁護人が来ていないので開廷できない。
10時7分、弁護人が入廷して開廷した。検事と弁護士は黒いマントのような上着を羽織っている。上着には左肩にネクタイのようなものがぶら下がっていた。これが彼らの正装なのである。初めは警官への質問で、他の4人の証人は外に出された。
警官は、検事に言われて証言台に立った。証言台の上には、水晶玉があり中にはブッダが入っている。正面の裁判長の頭上には、王様が座っている写真がかかっている。それらに向かって誓いの言葉を述べた。
12月18日の家宅捜索の様子を質問されて、その時の状況を説明していた。自宅、パソコン、インスタント・ラーメンなどの写真を見て確認し、裁判長に報告していた。佐々木が供述した話、カルフールで女と知り合いTOPSでレンタカーを借りて窓にフィルムを張らせたことも確認した。また、佐々木が犯行の翌日Hさんに電話をしたことも確認した。
その後、もう1人警官が入って来た。彼は、遺体現場を担当した警官らしい。遺体発見現場への道、遺体の写真を確認した。私の席からは遺体写真ははっきり見えなかったが、身体はうつ伏せで、手と胴体、足は真っ黒になっていて、頭部だけが白かった。弁護人から遺体の写真は誰かと聞かれ、「ヒロシ・ナカゾノ」と答えていた。
11時20分からは、タイ人女性への証人質問が始まった。彼女の名前はプー、歳は28歳、ジョムテイェンのホテルで働いている。パタヤのホテルで働いている時に中園氏と知り合った。中園氏との関係は専門用語でいうと『特殊関係人』、平たく言うと『愛人』である。彼女も中園氏にぶら下がっていた女のひとりであり、パトロンを失った被害者のひとりである。可哀そうに・・・。
中園氏は財力に任せて、常時4~5人の愛人を囲っていたようである。その他にもウエイトレス、カラオケの女、素人娘など、色白で日本人的な気に入った女がいれば手当たり次第に漁っていた。佐々木はいつも中園氏にことを「スケベおじさん」と呼んでいた。
気に入った女がいると、大体1ヵ月3~5万バーツの愛人契約をするのだが、いつも途中で値切るのでしばしばトラブルを起こしていた。金持ちのくせにキーニャオ(ケチ)だったのである。ある女の時には、金銭トラブルの末に睡眠薬を飲まされて、現金、ロレックスの腕時計、携帯電話などを盗まれたこともある。運良く昏睡しているところを友人に発見されたのだが、もし発見が遅れていたら死んでいたかもしれない。
「中園さん、こんなことをしているとあんたいつかは女に殺されるよ!」とHさんにも言われていた。結果的には女かどうかは分からないが、何者かにタイで殺されてしまった。死者に対して失礼な言い方だが、自業自得だと思っている。
プーは、中園氏との関係、12月14日にパタヤに来ることを事前に知らされていたこと、現金はロングステイ・ビザを取るためのものだったことなどを証言した。また、遺体写真の確認もさせられていた。弁護人も同じような質問をしていた。
12時半に午前の部が終了し休廷になった。プーは午後2時から仕事があるので帰って行った。私はHさんと1階の食堂で昼食を食べた。午後は1時半から再開の予定である。
警察の拘置所、イミグレーションの拘置所、刑務所での面会も日本では経験がなかった。そして今回、ついに裁判の傍聴人になった。それも、釣り仲間が起こしたとされる凶悪な強盗殺人事件の裁判である。初めは緊張したが、よく考えたら裁かれるのは自分ではないので気楽に聞くことができた。
昨日(3月3日)は、午前8時半に裁判所に着いて、開廷までに2時間も待たされたので、今日は9時40分に小法廷に入った。すると、もうすでに関係者が揃っていた。釣り仲間のA氏、M氏、タイ人女性2名、警官1人が証人として座っていた。裁判長も検事も被告人もいるのだが、被告の弁護人が来ていないので開廷できない。
10時7分、弁護人が入廷して開廷した。検事と弁護士は黒いマントのような上着を羽織っている。上着には左肩にネクタイのようなものがぶら下がっていた。これが彼らの正装なのである。初めは警官への質問で、他の4人の証人は外に出された。
警官は、検事に言われて証言台に立った。証言台の上には、水晶玉があり中にはブッダが入っている。正面の裁判長の頭上には、王様が座っている写真がかかっている。それらに向かって誓いの言葉を述べた。
12月18日の家宅捜索の様子を質問されて、その時の状況を説明していた。自宅、パソコン、インスタント・ラーメンなどの写真を見て確認し、裁判長に報告していた。佐々木が供述した話、カルフールで女と知り合いTOPSでレンタカーを借りて窓にフィルムを張らせたことも確認した。また、佐々木が犯行の翌日Hさんに電話をしたことも確認した。
その後、もう1人警官が入って来た。彼は、遺体現場を担当した警官らしい。遺体発見現場への道、遺体の写真を確認した。私の席からは遺体写真ははっきり見えなかったが、身体はうつ伏せで、手と胴体、足は真っ黒になっていて、頭部だけが白かった。弁護人から遺体の写真は誰かと聞かれ、「ヒロシ・ナカゾノ」と答えていた。
11時20分からは、タイ人女性への証人質問が始まった。彼女の名前はプー、歳は28歳、ジョムテイェンのホテルで働いている。パタヤのホテルで働いている時に中園氏と知り合った。中園氏との関係は専門用語でいうと『特殊関係人』、平たく言うと『愛人』である。彼女も中園氏にぶら下がっていた女のひとりであり、パトロンを失った被害者のひとりである。可哀そうに・・・。
中園氏は財力に任せて、常時4~5人の愛人を囲っていたようである。その他にもウエイトレス、カラオケの女、素人娘など、色白で日本人的な気に入った女がいれば手当たり次第に漁っていた。佐々木はいつも中園氏にことを「スケベおじさん」と呼んでいた。
気に入った女がいると、大体1ヵ月3~5万バーツの愛人契約をするのだが、いつも途中で値切るのでしばしばトラブルを起こしていた。金持ちのくせにキーニャオ(ケチ)だったのである。ある女の時には、金銭トラブルの末に睡眠薬を飲まされて、現金、ロレックスの腕時計、携帯電話などを盗まれたこともある。運良く昏睡しているところを友人に発見されたのだが、もし発見が遅れていたら死んでいたかもしれない。
「中園さん、こんなことをしているとあんたいつかは女に殺されるよ!」とHさんにも言われていた。結果的には女かどうかは分からないが、何者かにタイで殺されてしまった。死者に対して失礼な言い方だが、自業自得だと思っている。
プーは、中園氏との関係、12月14日にパタヤに来ることを事前に知らされていたこと、現金はロングステイ・ビザを取るためのものだったことなどを証言した。また、遺体写真の確認もさせられていた。弁護人も同じような質問をしていた。
12時半に午前の部が終了し休廷になった。プーは午後2時から仕事があるので帰って行った。私はHさんと1階の食堂で昼食を食べた。午後は1時半から再開の予定である。
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