カンボジアの夜
アンコールワットから車に乗って、プノン・バケン山の麓まで来た。時刻は午後5時20分。ガイドのティーさんは、
「私はここで待っています。日没は6時前後です」
と言った。もう疲れたのか、手を抜いている。
我々は、他の観光客の後をついて山道を登った。15分ほど歩いて坂を登りつめると、テラス状の広場に出た。その奥の丘の上に崩れかけた遺跡がある。遺跡の頂上には、夕日をひと目見ようと観光客が大挙して押し寄せていた。
夕日を見るためには、遺跡の急勾配の階段を登らなければならない。パタヤの友人Fさん(年齢67歳)は、「危険なので下で待っている」と言った。確かに、登りは大丈夫だが、下りは危険かもしれない。とりあえず、Fさんを残して頂上を目指した。
頂上には、カメラを構えたギャラリーが陣取っていた。こりゃすごい! 足の踏み場もないぞ。
木陰から遠くを見ると、アンコールワットが見える。しかし、私の持っているコンパクトカメラでは、望遠にも限界があり上手く写すことはできない。まぁ、夕日だけ撮ればいいか。
やがて、夕焼けになり夕日が雲に隠れた。その瞬間を何枚か写した。ギャラリーは、まだ懸命に写真を写している。日が沈んで彼らが一斉に下山したら、急勾配の階段はパニックになる。我々は、危険を察して観光客が下山する前にひと足先に遺跡を後にした。
麓の集合場所に行き、全員が揃ったところで車に乗った。
「今夜は、オプションでディナーショーへ行きませんか?」
我ら3人は行くつもりだったが、他のメンバーも誘った。すると、全員参加することになった。料金は、送迎付でひとり10ドル。カンボジアの伝統舞踊を見ながらバイキングの食事をして10ドルなら安い。ホテルに戻ってシャワーを浴びて、7時に出発した。
ディナーショーの場所はジャスミンアンコール・レストランといって、体育館のように広いレストランであった。もうすでに西洋人の団体が大勢座っていた。その一角に腰を下ろして、バイキングの料理を食べていると、奥のステージでダンスが始まった。
タイもそうだが、南国の古典舞踊はスローテンポのものが多い。暑いからだろうか。カンボジアの伝統舞踊、とくに庶民の踊りはアップテンポのものもあった。頭に尖った金の冠をかぶって踊る様は、タイとよく似ていた。
舞踊ショーも終わり、お開きになった。車に乗ってホテルへ戻ろうと思ったら、パタヤのFさんが「夜の街へ繰り出そう」と言った。Fさんは年配ではあるが、色気は衰えずまだまだ現役である。とりあえず、ビアバーでビールでも飲んでお茶を濁すか。そう思い、付き合うことにした。
車に乗る仲間を見送って、二人で夜のネオン街へ向かった。はじめに入ったところは、カラオケクラブであった。薄暗い店内に入ると、マネージャーらしき男が出て来て、ガラス張りの部屋を指差した。そこには、若い女性が7、8人ひな壇に座っていた。何だか、パタヤのマッサージパーラーみたいである。ちょっと怪しい雰囲気なので、「オーク・クン(ありがとう)」と言って店を出た。
カラオケを後にして寂れた商店街を歩いて行くと、ピンクのネオンが灯った店を発見した。外からは店の中は見えない。
「ここに入りますか?」
「うん、ちょっと覗いてみよう」
恐る恐る中に入ると、店内は薄暗いが普通のバーだった。ソファに腰を下ろすと、女性がメニューを持って来た。1本2ドルのビールを2本注文して様子をみた。すると、中年の女性が2人来て、我々の隣に腰掛けた。カンボジア語は分からないので、英語で話しかけたら、多少は理解したようだ。
私の隣の女性は、熱心に私の腕や太ももをマッサージしている。
「奥の部屋でマッサージする? 20ドルです」
と彼女は言った。
何だか怪しい雰囲気になってきた。これはヤバイ! Fさんは話もできないまま、無言でビールを飲んでいる。隣の女性と気が合わないようだ。30分ほどしてビールを飲み終わったころ、
「そろそろ出ますか?」
と言うと、
「そうしよう」
了解を貰ったので、チェックをした。
いくらぐらいだろうか? 2ドルのビールを2本飲んだだけだけど、サービス料もかかるのか?
運ばれた請求書には、4ドルと書いてあった。至って明朗会計である。会計をして、隣の彼女に1ドルのチップをあげて店を出た。
その後、1時間ほど街を散策したが、パタヤのような開放的なビアバーはどこにもなかった。
「やっぱり、夜遊びはパタヤが一番ですね」
そう言うと、Fさんも頷いていた。
カンボジアの夜はFさんの期待を裏切り、2人は疲れ果ててホテルに戻った。
アンコールワットから車に乗って、プノン・バケン山の麓まで来た。時刻は午後5時20分。ガイドのティーさんは、
「私はここで待っています。日没は6時前後です」
と言った。もう疲れたのか、手を抜いている。
我々は、他の観光客の後をついて山道を登った。15分ほど歩いて坂を登りつめると、テラス状の広場に出た。その奥の丘の上に崩れかけた遺跡がある。遺跡の頂上には、夕日をひと目見ようと観光客が大挙して押し寄せていた。
夕日を見るためには、遺跡の急勾配の階段を登らなければならない。パタヤの友人Fさん(年齢67歳)は、「危険なので下で待っている」と言った。確かに、登りは大丈夫だが、下りは危険かもしれない。とりあえず、Fさんを残して頂上を目指した。
頂上には、カメラを構えたギャラリーが陣取っていた。こりゃすごい! 足の踏み場もないぞ。
木陰から遠くを見ると、アンコールワットが見える。しかし、私の持っているコンパクトカメラでは、望遠にも限界があり上手く写すことはできない。まぁ、夕日だけ撮ればいいか。
やがて、夕焼けになり夕日が雲に隠れた。その瞬間を何枚か写した。ギャラリーは、まだ懸命に写真を写している。日が沈んで彼らが一斉に下山したら、急勾配の階段はパニックになる。我々は、危険を察して観光客が下山する前にひと足先に遺跡を後にした。
麓の集合場所に行き、全員が揃ったところで車に乗った。
「今夜は、オプションでディナーショーへ行きませんか?」
我ら3人は行くつもりだったが、他のメンバーも誘った。すると、全員参加することになった。料金は、送迎付でひとり10ドル。カンボジアの伝統舞踊を見ながらバイキングの食事をして10ドルなら安い。ホテルに戻ってシャワーを浴びて、7時に出発した。
ディナーショーの場所はジャスミンアンコール・レストランといって、体育館のように広いレストランであった。もうすでに西洋人の団体が大勢座っていた。その一角に腰を下ろして、バイキングの料理を食べていると、奥のステージでダンスが始まった。
タイもそうだが、南国の古典舞踊はスローテンポのものが多い。暑いからだろうか。カンボジアの伝統舞踊、とくに庶民の踊りはアップテンポのものもあった。頭に尖った金の冠をかぶって踊る様は、タイとよく似ていた。
舞踊ショーも終わり、お開きになった。車に乗ってホテルへ戻ろうと思ったら、パタヤのFさんが「夜の街へ繰り出そう」と言った。Fさんは年配ではあるが、色気は衰えずまだまだ現役である。とりあえず、ビアバーでビールでも飲んでお茶を濁すか。そう思い、付き合うことにした。
車に乗る仲間を見送って、二人で夜のネオン街へ向かった。はじめに入ったところは、カラオケクラブであった。薄暗い店内に入ると、マネージャーらしき男が出て来て、ガラス張りの部屋を指差した。そこには、若い女性が7、8人ひな壇に座っていた。何だか、パタヤのマッサージパーラーみたいである。ちょっと怪しい雰囲気なので、「オーク・クン(ありがとう)」と言って店を出た。
カラオケを後にして寂れた商店街を歩いて行くと、ピンクのネオンが灯った店を発見した。外からは店の中は見えない。
「ここに入りますか?」
「うん、ちょっと覗いてみよう」
恐る恐る中に入ると、店内は薄暗いが普通のバーだった。ソファに腰を下ろすと、女性がメニューを持って来た。1本2ドルのビールを2本注文して様子をみた。すると、中年の女性が2人来て、我々の隣に腰掛けた。カンボジア語は分からないので、英語で話しかけたら、多少は理解したようだ。
私の隣の女性は、熱心に私の腕や太ももをマッサージしている。
「奥の部屋でマッサージする? 20ドルです」
と彼女は言った。
何だか怪しい雰囲気になってきた。これはヤバイ! Fさんは話もできないまま、無言でビールを飲んでいる。隣の女性と気が合わないようだ。30分ほどしてビールを飲み終わったころ、
「そろそろ出ますか?」
と言うと、
「そうしよう」
了解を貰ったので、チェックをした。
いくらぐらいだろうか? 2ドルのビールを2本飲んだだけだけど、サービス料もかかるのか?
運ばれた請求書には、4ドルと書いてあった。至って明朗会計である。会計をして、隣の彼女に1ドルのチップをあげて店を出た。
その後、1時間ほど街を散策したが、パタヤのような開放的なビアバーはどこにもなかった。
「やっぱり、夜遊びはパタヤが一番ですね」
そう言うと、Fさんも頷いていた。
カンボジアの夜はFさんの期待を裏切り、2人は疲れ果ててホテルに戻った。
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